どうでるか、村上春樹。
エルサレム賞というのをとったんですね。
こりゃあ、どうするのか、見物だ。
時事ドットコム 村上春樹さんにエルサレム賞=イスラエル紙 [jiji.com]
イスラエル紙イディオト・アハロノト(電子版)は24日までに、作家の村上春樹さん(60)が同国の文学賞、エルサレム賞を受賞すると報じた。
しかしこんな短い文なのにわかりにくいな。「24日までに」は「受賞する」にかかるのか「報じた」にかかるのか。「報じた」なら「24日に」ではなくなんで「までに」なんだろう。
……と思い、このイディオト・アハロノト紙を見にいったが、その英文版では21日の日付で報じてますけど?
Japanese author Murakami wins Jerusalem Prize [ynetnews.com]
で、この新聞によれば、エルサレム賞というのは、「社会における個人の自由のための賞」で、(時事にもありますが)「伝統的に個人の自由、社会、政治、政府を扱った作品の作家に与えられている」んだそうです。
しかし、エルサレム市が与える賞なんですね。
過去にはスーザン・ソンタグが受賞して、その受賞式の席上、イスラエルを批判する有名なスピーチを行ったそうです。
哲学クロニクルというメルマガのバックナンバーにそのスピーチ [melma.com]が掲載されています。
またそのときのかな、イスラエルでの講演内容も掲載してくれています。
ソンタグ エルサレム講演 その1、その2 [melma.com]
ぼくは、『ノルウェイの森』前あたりから一気に読んだ時期があったのですが、その後は『ダンス・ダンス・ダンス』よりあとの作品をほとんど読まずにきています。村上春樹のスタンスというものがぼくの中ではどうもはっきりしなくて、それが興味を薄くしていた理由でもあります。
エルサレム賞をどうするのか……エルサレムに行くと報じられているので受けるんでしょうが、だとすればどんなスピーチをするのかは、楽しみです。
そもそもこのような賞を受けるな、という声もあるようですが、賞の性格や、ソンタグの過去のスピーチなどから、今回のガザ侵攻やイスラエルの政策について言及しないということはない……と思うので、これでスタンスがはっきり見えるという期待とともに、ぼくとしてはイスラエルへの批判を大いに期待。
村上春樹がいま発言したら、日本での影響はとても大きいと思う。
愛しの小浜よ、浮かれていてはいけない
勝利演説は、けっこう感動をよんだので、就任演説も期待していたのです。
リアルタイムで見るには時間が時間だったので、映像ではなくテキストで全文を読みましたが……なんとも重苦しい気分になり、その気分を変えるのに一苦労しました。
力を持つアメリカが、その力を維持し誇示するために市民の犠牲を求めている。
Change、どころなものか。
ならずもの国家
1000人を越す死者。その3分の1が子ども。
ひとりひとりに名前があり、ひとりひとりにみな親がいて、ひとりひとりに、笑顔があったはずだ。
最期に、小さな瞳で見つめたものはなんだっただろう。耳に聞こえたのは、爆撃の音だったろうか、お母さんの呼ぶ名前だったろうか。
毎日ほぼリアルタイムで伝えられる惨状は、テキストを読んでいるだけでも充分に恐ろしい。身が縮む思いで読んでいます。写真や、YouTubeの映像を見るにはかなりの勇気がいります(でも見なきゃいけない)。
新聞やテレビよりもずっと大切な情報、そしてメッセージがネットを通して伝えられてきます。
市街戦がはじまり、ガザの国連本部や、赤新月社まで攻撃されたとのこと。
避難をしている人たち、そこを攻撃して、殺戮する。なんという。
ひどすぎる。
「人権派」でない弁護士がいるの?
「人権派弁護士」という言葉を見ることがあります。
多くの場合、これは揶揄に使われているようです。
この言葉を見るたびにユウウツになります。
人権を尊重しない弁護士はいない、はずです。
人権尊重は日本国憲法の根幹ですから、そこを抜きにして弁護士としての活動はできるはずがありません。だから弁護士自身が、「自分は人権派だ」と言うこともないでしょう。ぼくが弁護士なら言わない。
もし人権を尊重していないとしたらそれは弁護士の名にも資格にも値しない人でしょう。弁護士よりも「エライ権力者」になりたかったんだろうなあという人が最近目立ってたりしますが、まあそういう人です。
こういう揶揄をする人は、弁護士は人権を尊重しなくてよいと思っている、ということなんですよね。
さらには、人権を尊重するような輩はロクな奴ではない、と思っているように聞こえるのですが、どうなんでしょうか。
ここのところにぼくのユウウツの種はあります。
人間の社会が目指してきたのは、すべてのひとの幸福。そのための礎である人権。
そのようにぼくは理解していますが、「人権派」という言葉を使う人は、「人権を尊重するのは一部の特殊な人であり、人権なんてフツー尊重するようなもんじゃないし、だから自分も尊重なんてしない」と標榜しているのだと思います。
そしてそういう人がけっこういる。それなりの学習や経験を経ているはずの学者や政治家にもたくさんいます。そういう人が、人権というものを誤解しているのであればまだ救われるのですが(とは言えそういう方々に社会を語ってほしくないし、ましてや政治を司ってほしくないですが)、理解していてそう言っているのであれば、今の社会の基礎であり幸福の源だとぼくが思ってきたものが、そんなものはいらない、そんな社会じゃないほうがよいと言われているようで、夢も希望もない。
というか、人権を重んじない社会がほんとうにいいと思っているんだろうか。
「犯罪者の人権は大切にされるが、被害者の人権は大切にされていない」なんてこともよく聞きますが、弁護士なら、そんなこと絶対に思っていないはずです。
「人権派弁護士」という言葉によって、「人権」というものも、「弁護士」というものも全然理解されておらず、またそれらは社会において大したものじゃない、という認識があることがわかるだけでなく、わりと普通にこの言葉が使われていることによって、そうした認識がわりと普通に蔓延していることに、ガックリきます。
何百年もかけて、たくさんの血を流しながら先達が獲得してきたものはなんだったのだろうか。
田中・川田の反対が解せない
少し時間がたってしまいましたが、今月初めに成立した国籍法の改正。外国人と日本人との間の非嫡出子に対して国籍を認めるという、最高裁の判決に沿った内容です。
これに対していわゆるネット右翼を中心に人々が大きく動いて、国会議員に大量にファクスを送るなどの活動をしたようです。偽装認知によって、本来与えられるべきでない人に国籍が与えられてしまい、特に性的な商売を目的として外国人の子どもが大量に入国することになってしまう、というような論です。
こうした反対派の意見は「まとめWIKI」にまとめられていますが、基本的な法律の知識に基づいていないと思えます。多くの法律家や法律学徒があちこちで解説をしてくれていますが、例えば今回の改正の元となった最高裁判決に関わられた弁護士によるこのブログ [blogs.yahoo.co.jp]あたりが詳しい。あるいは判決に対するニュース解説 [nhk.or.jp]で偽装認知の杞憂について簡潔に述べられています。
まあ、意見は異なるけれど、そうした行動そのものは、べつに悪いことではないです。コピペだろうとなんだろうと、市民の声として国会議員に伝えるという行動は大切だと思います。
橋下氏による扇動で松本智津夫の弁護人に懲戒請求を求める行動を起こしたのと同様の、あまり考えていないお祭りノリでやってしまうのは、それに対応しなければならない人手について思えば誉められたことではないです。とはいえ、ノリがどうだろうと意見を出す行為に対応する人手を惜しんではならないのが民主主義でもあります。
そして、市民がすべてのことについて考え尽くして行動することもまた難しいですから、これはむしろ行動を起こすための材料を提供する側、当事者やメディアによる情報発信の問題でしょう。
それともうひとつ、国会議員。
今回、実に解せないのは、田中康夫さんと川田龍平さん、このふたりの国会議員が同法案に明確に反対を表明したこと、です。
いずれも、ぼくがとても信頼しているふたりで、それこそあまり考えずに行動するような人たちではないはずなのに、今回ふたりが発している言説をみるかぎり、うーんとうならざるを得ません。
差別や人権に対して敏感でまっとうな見識を持つはずのふたりが、なぜこんなことを言っているのだろうか。
ちなみに以前、ぼくが笹塚のシアターで川田さんを見かけた [kazeiro.com]ときに一緒だった結婚したてのお相手は、堤未果さんというジャーナリストだったんですね。不勉強にも知りませんでした。で、堤さんもまた同様のご意見のようです。
議員やジャーナリストは少なくとも法律家のブレーンを持つべきなんじゃないか。
ちゃんとした知識を仕入れずに主張しているとすれば問題だし、もし知識を仕入れた上で、さらに反対表明をしているのなら、彼らに対する評価を変えないといけないかも……。時間の経過とともに言説が変わるかと注目していたのですが、変わる気配なし。うーん。
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本件について興味のある方は、とても詳しい解説が、法律学徒でありMIAUの発起人でもあるinflorescenciaさんのブログ [hatena.ne.jp]にあります。