東京新聞に「【探訪 都の企業】日本システム企画」記事について質問したのだけれど……

5月25日の東京新聞朝刊一面に、「【探訪 都の企業】<水のインフラ編>【上】英王室信頼の透明度 日本システム企画(渋谷区)」という記事が掲載されていた。
現時点では、東京新聞のサイトにも掲載されている。
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/kigyou/news/130525.html

この記事について、以下のような質問を東京新聞のウェブから送った。

25日の一面に掲載された「探訪 都の企業・日本システム企画」について、質問があります。

記事にある以下の点について、これらは日本システム企画が主張していることと存じますが、貴紙では当企業以外からも事実の確認をとられているのでしょうか。そうであれば、その確認先と内容をご教示願いたいと存じます。

1) 記事にある、この装置のしくみの説明は、科学的に正しいものでしょうか。
2) 「学会で科学的に効果が立証」とありますが、それは何の学会でしょうか。また「立証された」とはどのような形ででしょうか。
3) 「国土交通省に…認定」とありますが、それはどのような認定でしょうか。
4) バッキンガム宮殿に装置が取り付けられたのは事実なのでしょうか。またそれは「英王室」が「信頼」した結果なのでしょうか。

朝8:20に送信した質問に対し、14:36にはメールでご回答いただけた。
ただ、こちらが番号を振っているのにその順番でのお答えではなかったので、対応させて「東京新聞読者応答室」からの回答の内容を書くと以下のとおり。

1) 装置の仕組みについては、直接日本システム企画にお問い合わせいただきたい
2) 2003年の防錆学会の国際会議で論文を発表、2005年に日本防錆技術協会で論文を発表
3) 国交省の関東整備局NETISで2011年認定を受け、登録番号はKT-1000072-A
4) イギリスでは詐欺商品を販売した場合は刑事罰を受けるため、装置がつけられているということは信頼に値したと判断されたのではないか

これにさらに疑問があったので、次のように返信(回答をもらったメールアドレス宛、28日 20:56)した。

「東京新聞で分かっている範囲でお答え」いただいたとのことですが、私の質問はすべて記事に書かれていた内容についてお尋ねしたものですので、貴紙がご存知の範囲であると認識しています。

ご回答が私の質問に対応した形ではなかったので、勝手ながら順番を変えさせていただき、QAを対応させた上で(引用注:この部分は上記にあるので下記では省略)、個々について再度お尋ねします。

1)
記事には図もつけてしくみを説明されています。その内容についての貴紙の判断をお尋ねしています。
直接の問い合わせを、ということは「日本システム企画が主張しているそのままを書いた」のであり「科学的に正しいかどうか判断していない」もしくは「正しいかどうかわからない」という意味でしょうか。

2)
これは日本システム企画がそのように発表しているそのままですが、国際会議での「発表」、ならびに防錆技術協会の月刊技術誌に論文を掲載すること、つまり「発表」が、イコール「学会での科学的な立証」であると貴紙では判断されている、ということでしょうか。
当該会議ならびに技術誌は発表・掲載前にその技術の効果を確認しているということでしょうか。

3)
NETISのサイトを拝見したところ、「注意事項」のところに掲載情報について、

① NETIS掲載情報は、当該技術に関する証明、認証その他何ら技術の裏付けを行うものではなく、新技術活用に当たっての参考情報といった性格のものであること。
② 特に、申請情報は、技術開発者からの申請に基づく情報であり、その内容について、国土交通省及び評価会議(整備局等)が評価等を行っているものではないこと。

とあります。
またFAQには

Q:申請技術がNETISに掲載されたことで、国土交通省のお墨付きを得たと考えてよいですか。
A:NETIS掲載情報は、新技術活用に当たっての参考情報といった性格のものです。
登録が完了したからといって、当該技術に関して証明、認証するものではありません。

とあります。
さらに、当該技術は「事後評価未実施技術」になっています。
すなわち、単に開発者側が申請登録しただけであり、なんら「認定」も評価もしていないと明示されています。
貴紙ではこれを「国交省に認定を受けた」と判断されているということでしょうか。
なお、登録番号は正しくは「KT-100072-A」でした。

4)
質問にお答えいただいていないのですが、「装置がつけられているということは」の前提が事実なのかどうかを確認させてください。
また「信頼」したのが「英王室」だという根拠もわかりません。英王室のしくみを知らないのですが、Wikipediaの「御用達」の項によれば「王族個々人がそれぞれ気に入った製品の生産者に対して、王室から御用達リストに加える申し出が出される」とのことなので、日本システム企画が英王室の御用達になっているということなんでしょうか。

これに対して今日(15:22)回答をいただいたが、そのメールの内容は、東京新聞は専門的な調査機関でないので、取材で得て紙面に掲載した以上の情報は正確にお答えできかねる、日本システム企画や専門機関に問い合わせしてほしいというものであった。

そして、貴重なご意見は今後の参考にさせていただくというご挨拶をいただいたのみ。9行のメール。
「木で鼻をくくったよう」という慣用句が頭をよぎった。

この記事、25日には署名がないのだが、翌日の「<水のインフラ編>【下】」の最後に「(この連載は岸本拓也が担当しました)」とある。

岸本拓也氏は東京新聞の記者であろうが、検索すると原発、シェールガスなどエネルギー関連の記事やTPPの記事も書いておられるようだ。

この手の記事について、ぼくは東京新聞の姿勢や取材能力をけっこう信頼しているのだけれど、上記のような回答内容や、記事の根拠についての質問であるにもかかわらず答えてもらえないということからすると、この記事の信頼性だけでなく、他の記事の信頼性も疑わざるを得なくなる。
現時点でそのような疑いをもっているわけではないけれど、対応にはかなりがっかりした、というのが正直なところだ。なぜ答えてもらえないんだろう。

とはいえ、市民に寄り添ったジャーナリズムを実践しておられる東京新聞、ひきつづき応援していますよ。

失われてしまうということ

連休後半、東北を旅した。
行きたい、行かなければと思いながら、ためらいを感じて行かないまま2年がすぎてしまったのだが、ちょうど所用ができてこれを好機と、駆け足で沿岸をまわった。

そこで何が起きたのか。そこにいた人たちが何を感じたのか。想像しなければいけない、できる限り想像しなければ……と思っていたし、今もそう思う。
けれど、現場に身をおいてその風景を見回し、いくら想像をたくましくしても、そのときの光景を脳内で構成することはほとんど不可能だった。

見渡す限り何もないここが、かつてたくさんの家々が身を寄せ合うように立ち並んでいた街であったことも、一瞬にしてどす黒い巨大な波がそれらを飲み込んだことも、波が引いたあとに家やビルや車や、その中におさめられていたはずのたくさんの家具や道具が、膨大な残骸の集積となって無惨に積み重なっていたことも、そしてその中で多くの人の命が消えていったことも、目の前にある風景から想像するのは難しい。

「想像を絶する」。この言葉しか浮かばない。
それでも、想像しなければならない。
想像の及ばないところは、伝えてくれる映像や写真や文章や、そこにいた人たちの声に学ばなければならない。

 

(さらに…)

1977年へのタイムトラベル

この間の土曜日、中学校のときの同期会が開催された。みんなが50歳になった記念。
これまでにクラス会をやっていた組もあったようだけれど、学年全体で開催するのは初めて。
ぼくもごく一部の友人とは会う機会があったが、それも近くて十年以上前だった。
なのでほとんどの人と、35年ぶりの、再会。

50にもなると、名前を呼び捨てにし合う関係が新たにできることはとても少ない。呼び捨てで名前を呼ぶこと、呼び捨てで呼ばれること、そんなことがまずずいぶん久しぶりのことだった。
それにあの頃は女性の——と書くとどうも違和感があるな、女子の名前も男友達と同様に呼び捨てで呼んでいて、ぼくにとってそれは同性も異性も同じ距離感をもって接することができているような、気持ちのいい関係性を示すものだった。
35年たった同期会の会場の中で、当然のように復活したそういう関係性。そんな関係性を持つ相手が一対一ではなく、まわりじゅうみんなお互いそうなのだ。
ぼくは高校が男子校だったし、大学生になったらなったでそれなりに大人で個々人がばらばらに活動するので、「みんな同じ立場」という感じではなくなった。だから、異性も同性もあわせて同じ立場の固まりの中にいる、という環境は、考えてみればぼくには中三のときが最後だったのだ。
みな同じ立場、みな対等であるということの、なんと気持ちのよいことだろうか。そしてそれが35年たってもそのまま変わらないことのうれしさ。

いまこの年になっての3年間とは比べものにならない、十代の時間。
あの時間を同じ空間で過ごした仲間が、姿は少し変わっても(記憶の中とまったく変わらない人もいてそれもびっくりしたけれど)、あのときと同じようにいてくれて、同じように会話ができる。
わずか数時間では、お互いの仕事や家族のことをそれぞれ聞くだけで精一杯だった。でもそれだからこそ、なんだか中学のときに大して実の無い親の悪口や勉強の心配を語っていたのと変わらないよなあという気にもなって。
これを機会にもっとしばしば会うようになれば、大人としての会話をするようになってゆくだろう。それはそれで楽しみなことだけれど、かつてあの教室の隅や廊下の端で、あるいは校庭を臨むベランダや、校庭のけやきの樹の下で、今となっては何を話していたかすら覚えていないのたわいのない会話の数々……それが35年目の同期会の会場で再現されていたようなおもしろさがあった。

それにしても。
人というものは、中学生の年齢で既にもうすっかり形作られているものなのだなあ。
表情のとりかた、笑い方、声、しぐさ、しゃべり方……みな例外なく35年前に見た記憶のあるそのままだった。
ほんとうにびっくりするぐらい、みんなあの時のままだった。
だから、目の前で繰り広げられる友人同士の会話を聞いていると、教室の中でやっぱりこうしてぼくは友人たちの会話を聞いていたのかなあということを思い出す……というよりも、そのときの気分にすっかりなってしまっていたような気がする。男同士でふざけあっていたり、女の子同士で顔寄せ合ってくすくす笑っていたり、そんな風景を眺めるのがなんとなく楽しくて、眺めながらときどきそこに混ぜてもらう。同期会の中でのぼくがそんなふうなんだから、かつてのぼくもやっぱりそんなふうだったんだろう。

二次会の会場を後にして、みんなと別れての帰宅後。
家族と会話しながら、じゃれついてくる猫に餌をやっていて、とても不思議な気分になった。
さっきまで、あの3年F組の教室にみんなといて、それからタイムトラベルをして35年後の世界に戻ってきた。そんな気分。

昔を懐かしみながら、今のお互いを語る……そんな会を想像していたのだけれど、そしてもちろん表面的にはそのとおりの会だったのだけれど、でも実際にぼくが感じたのは「懐かしい」という言葉とはずいぶん違うものだった。
みんなの存在が互いに交信し合うことで、今はもうない西戸山中学校という空間がその場に時を超えて生成されていたような感覚。
35年前に「戻っていた」のではなく、35年前の空間がそこにあったような感覚。ぽっかりとタイムトンネルが開いていて、その向こうにいたような経験。
たしかに現実として存在していたのに、いま目の前にある現実とはまた別の世界にいたような。

この間、もしみんなとしばしば会っていたら、そのときどきで記憶に重ね塗りがされて、時間を超えるような感覚を得ることはできなかっただろう。
こんな不思議で幸福な感覚は、あの晴れやかな卒業式から数えて35年間、それぞれがみな、それぞれの人生を自分なりに歩んできたご褒美なんじゃないか、と思ってみたり。

半年以上もかけて、今回の会を企画し、煩わしい連絡などの作業をし、開催してくれた友人たちに、ほんとうに感謝。

そして今この時代を共有してくれている同窓の仲間たち、お元気でいてくださる先生がたの存在に心から、ありがとう。

iOS版を考慮して、Mac版Keynoteでスライド作成する際の留意点

iOSのKeynoteでプレゼンする可能性がある場合、Mac OS版Keynoteで作成する際には、あらかじめ下記の点に留意しておくと後の修正の手間があまりなくなります。

  • スライドのサイズ:1024px × 768px で作成する
  • トランジション:対応しているトランジションのみを使う。アクションビルドは使わない
    (別エントリー「Keynote:Mac版とiOS版の互換性」参照)
  • フォント:iOSが搭載しているフォントのみを使う
    (アップルのサポートサイト内「iWork for iOS:互換性のあるフォント」参照)

Mac OSでプレゼンするつもりでも、バックアップとしてiPhoneやiPadがあれば心強いので、Mac OS版でなければできないようなもの(アクションビルドを使うなど)以外は、できるだけこれに従っておくと安心です。

もし上記の条件にあわない場合は、iOS版Keynote読み込み時に下記の処理がなされます。

スライドのサイズ

  • 1024px × 768px以外でつくられたスライドのサイズは、1024px × 768pxに変更される

オブジェクトやテキストの位置とサイズは、スライドのサイズにあわせて再配置・リサイズされるので、多少の大きさの変更であれば変なことにはなりませんが、図が重なったりすることはありえます。

トランジション

  • 対応していないトランジションはディゾルブとして読み込まれる
  • アクションビルドは削除される

フォント

  • iOSが搭載していないフォントは、搭載されているフォントに変換される

・ヒラギノ角ゴ Pro W3/W6
・ヒラギノ丸ゴシック Pro W3/W6
→ヒラギノ角ゴProN W3/W6

・ヒラギノ角ゴ Std
・ヒラギノ角ゴ StdN
→ヒラギノ角ゴProN W6

・ヒラギノ明朝Pro
・MS明朝
・MS P明朝
→ヒラギノ明朝ProN

しかしなぜか……
・MSゴシック
・MS Pゴシック
→黒体-繁 (ST Heiti TC-Medium)
となります。これは間違い?

  • 上記以外のフォントはHelveticaに強制的に変換される

明朝体、セリフ体であってもすべてHelveticaです。
Osakaやメイリオはヒラギノ角ゴシックProNにしてくれてよさそうなものですが、容赦なくHelveticaです。
(ただし日本語フォント指定であったものがHelveticaになっても日本語部分が化けることはありません)

Keynote:Mac版とiOS版の互換性(Keynote for iOSで使えるエフェクト / 2012-0325)

iOS版のKeynoteで、Mac版にあるエフェクト(アニメーション効果)のどれが使えるかの対応表です。
iOS版Keynoteが1.6になって、利用できるエフェクトが増えたので、1/30の投稿の内容を更新しました。(1/30のほうを見る必要はありません)

今回のアップデートで、ビルドについては「コンバージェンス」を除いてすべてのエフェクトが使えるようになりました。
ただ、依然としてアクションビルドは対応していません。ぼくはこれを利用することが多いので、とても残念。ぜひ対応してもらいたいところです。

Mac版とiOS版で、同じアニメーションなのに名称が異なるものがあります。どうしてこんな微妙な名称の違いがあるのかよくわかりません。統一すべきでしょう。
これら(押し出し/プッシュ、コンフェッチ/コンフェッティ、落下/フォール、拡大/大きく拡大縮小)については「◯」の代わりにiOSで使われている名称を記載しました。
また、「リピール」はiOS版に見当たらないのですが、実際には「出現」という名称のトランジションがリピールです。トランジションに「出現」はあり得ないですし、これは間違いでしょう。

▼ 表をクリックするとPDFで表示します

Keynote effects table

Keynoteのエフェクトの対応

なお、Mac版のKeynote ’09は、それまでのバージョンと比べて、利用できるエフェクトの増減があります。ただし減った分も、環境設定によって利用できるようになります。

表の「旧」という欄に「◯」を記載したエフェクトは、このオプションをオンにすることで利用できるものです。

Keynote setting

Keynoteの環境設定で、古いKeynoteにあったイフェクトを使えるようにする

Keynote:Mac版とiOS版の互換性(Keynote for iOSで使えるエフェクト)

情報を更新しました。新しいエントリーのほうをご覧ください。

(さらに…)

Twitterからの自動転載はやっぱり止め。

Twitterへの投稿を一週間分まとめてこちらに転載することをやってみたものの、どうもあまり意味がないので止めます。

投稿を補足したり、画像を加えたりしたらどうかと試してみたけれど、つぶやきは細切れすぎてまとまりをつくりにくい。あらためてちゃんとエントリーしたほうがよいですね。

ちなみに、ぼくのTwitter、Facebook、Google+、Flickrにはページの一番下のアイコンから行けるのだけれど、分かりづらすぎですね。

今のこのデザインは、Responsive(ウインドウの幅・画面の大きさにあわせてダイナミックにレイアウトが変わる)なのと、本文の左右に何もないところが気に入っているのだけれど、でも自分で手をいれないとだめかなあ。めんどうくさい……。

あけましておめでとうございます

sea dragon couple for a Happy New Year あけましておめでとうございます。

 

写真は、本年の年賀状ですが、我が家の水槽のタツノオトシゴ夫婦です。

奥にいるのがお父さん。
この写真を撮ったあと、彼のお腹から10匹ほどの子どもが生まれました。

ぼくも初めて知ったのですが、タツノオトシゴはオスのお腹の中にメスが卵を産みつけ、オスの中で孵化、稚魚となって、オスが「出産」するのですね。

 

広大な海の中の生物の多様な姿は、ミクロでみてもマクロで見ても驚くことばかりですが、ほんのわずかな水槽という空間の中でも、そこに生きる生き物の姿や生態は毎日見ていても飽きることがありません。ちっぽけな魚の一匹の動きをじっと見ているだけでも、この生命の惑星にいることの驚異を感ぜずにはおれません。

 

37億年のいのちの歴史の末端に存在することができている幸福を抱く一方で、いまここで進行中の愚行がどのような未来につながっていくのか、進化というシステムからはみ出したわが種の行く末への不安もまた抱かざるを得ない、年のはじめです。

Thank you so much, Mr. Jobs.

ジョブズは、歳を重ねるごとに、より大きなことを成し遂げてきた。iPod-iTunes-iTunes music storeで音楽のエコシステムを作り上げたとき、すごい、余人を以って代え難いと思ったが、ほんとうに、まさにinsanely greatだと心から思ったのは、iPhoneの発表を見たときだった。

アップルが、ジョブズが、iPhoneでなしとげてくれたのは、すばらしくデザインされた製品を世に出すこと、だけでなく、そのようなデザインアプローチが可能であること、そのようなアプローチでなければ成功できなかったことを、世に知らしめてくれたことだ。

なぜ日本の企業にはiPhoneを作れなかったのか、ということをいう人がいるが、作れないのは日本の企業だけではない。世界中どこを探しても、iPhoneを、あれほど徹底的にデザインされたケータイを作り得るのは、アップル以外なかった。

ユーザーのアンケートからでは作り得ない。ユーザーを深く理解した者が、論理と経験を武器に徹底的にデザインすることでしか、iPhoneは作れない。

そして、その徹底したデザインの力を信じ切れる者にしか、製品化して、世に出すことはできない。

徹底したマーケティングではなく、徹底したデザイン。

そうやって生み出した製品とサービスを、成功に導いてくれたことが、彼の一番の功績だと思う。

おかげでぼくも、自分が信じることを、自信を持ってまっすぐに進めていくことができる。

ありがとう、スティーブ・ジョブズ。

# いまごろは、ラスキン翁にiPhoneを自慢してるところかなあ。

錆びた歯車は天空のプログラム

ここ数日、Macの画面やiPhoneの画面を見て、ドキリとすることが幾度となくあった。
ドキリとしながら理由がわからず、ん?ぼくは今何を見たんだ?と思って画面をよく眺めてみたら、そこに表示されたアイコンに、歯車が描かれていた。
わが社のウェブサイトに載っている、上野さんの作ったIxEditのアイコン。Mac OSやiPhoneの画面の片隅にある環境設定のアイコン。
それが眼の片隅を通過するたびに、ドキリとしている。

歯車。
アンティキテラのマシンのせいである。

アンティキテラの機械の話は、数年前にたぶんネットのニュースか何かで眼にしていた記憶がある。しかしあまり内容を追うことなく忘れていた。
この本を読み終えて、2000年以上前に作られた機械への100年に渡る探求と、そこからわかった事実を目の当たりにして、少し興奮気味。

紀元前の人々が、楕円軌道によるずれを含む太陽や月の正確な動き、地上からは実に複雑にみえる惑星の動き、それになんと日食・月食の時期をもきちんと予測できていたとは。
天動説がとられ、惑星や衛星の運動のしくみがわかっていなかったにもかかわらず、実に正確に予測していたのだ。何世紀にもわたる緻密な観察のみによって、天体の様々な周期を見いだしていたのだ。

そして、そこで得られた複雑な複数の天体の動きの規則を、歯車の組み合わせだけで算出できるようにした人たちが、いたのだ。

さらに、その知識と技術が一度失われ、再び歯車で時を刻めるようになるまでに、1000年の時がたっていた。
そのような機械が紀元前に存在したことすら人類は忘れ、何世紀もすごしていた。
100年前、たったひとつの機械が、海の底から発見されるまでは。

クストーが今のスクーバダイビングのしくみを発明する以前、19世紀の潜水の話からこの本ははじまる。
去年のぼくにはわからなかった海の底のリアリティと危険が、今ならわかる。

海綿の棲む海底に眠っていた機械。星々が駆ける天空から数世紀をかけて得た膨大な知識。緻密な歯車の組み合わせの数学。2000年前の思想。失われた時間。錆と石灰に埋もれた秘密のプログラムを解読しようと競う学者たち。

この本の中に閉じ込められているさまざまな世界、時間、意識……それが個々に、あるいは相互にからみあって、ぼくの脳の中をぐるぐるとかけめぐっている。

宇宙のなかのちっぽけな星に生きている人間という存在を、実にいろいろな角度で描き出してくれる話であり、その興味深さを巧妙に組み立てて読ませてくれる本である。

ああなんて面白い。