映画・演劇・テレビ
五反田団『俺の宇宙船、』
2月 13th
おもしろいことを言おうとしてではなく、会話のなかでふと出てくるおかしな言葉というものがあります。
即つっこみを入れたくなるような、なんでそんなこと言うの?と思ってしまうような、そんな言葉。
日常の中では、いくらトボケた人を相手に話していても、発言すべてがそうなることはないわけですが、これは、そうした言葉を集めてきて1時間半におさめたような、そんな劇でした。
個々の登場人物の背負っている人生が一気に俯瞰できるような台詞を紡ぐ劇も好きですが、この舞台はそういうのとはまた違って、ひとりひとりが、こつこつと生きていることが感じられる、日常の魅力がありました。いろいろな不安をちょっぴり感じながら、それぞれのやり方でそれを押さえつけたり、逃がしたり。
台詞の間。手脚のうごき。遠近法と高低のある無機質な道具立てを変幻させて見立てる舞台。
いろいろなものが、ぼけているようで実に緻密につくられた脚本で編み上げられて、少しさみしげな暖かさを持つ物語となってふわりと着地。
五反田団『俺の宇宙船、』。誘ってくれた友人たちに感謝。
あ、そういえば、この脚本を書き、出演もしていた前田史郎さんが明日の21時からのドラマ [NHK.or.jp] を書いているということでした。見なければ。
最近の視聴(伊東四朗一座、ライラ)
1月 18th
伊東四朗一座「喜劇 俺たちに品格はない」
wowowからの録画視聴。
熱海五郎一座も悪くなかったけど、伊東四朗がいるとやはり違う。彼も、彼を慕っている役者たちも、喜劇を作ることと喜劇を見せることが大好き、というのが伝わってくる。戸田恵子さん、年末の舞台が取れなかったので、お久しぶりに拝見。
ライラの冒険 黄金の羅針盤
wowowからの録画視聴。
いいじゃないすか、これ。わくわくする。登場人物も魅力的。映画館で見なかったことを後悔。
映画の続編製作は不景気を理由に無期限延期になってるようですが、ハリポタなんかよりよっぽどすばらしいこの話を映画にしなくてどうするのか。
とはいえ、映画の限られた時間の中では描ききれない内容の濃さと魅力を感じます。原作読まなければ。
滅びるにはこの日本、あまりに……
12月 16th
ぼくには自信がない。
自分の中にできる限りの知識を持ち、人の意見に左右されずに判断ができることを望み、そうなれることをずっとめざしてきている。でもそんなことはできないことも知っている。だからこそ望むのだけれど。
大勢(にみえる)の意見を見聞きしたり、限られた情報しか与えられないことで、自分の判断はカンタンに揺らぐ。何が正しいことで、何が正しくないことなのか。立ち止まって考えなければならないことにすら気づかずに、判断しているつもりで実は何にも考えないうちに、だれかが、あるいはみんなが(「みんな」というのも実は全員ではなく一部の人なのだけれど)言っていたことがあたかも自分自身のはじめからの意見であるかのごとく、思ってしまう。
そんなことはよくある。たいしたことでなければそれでもいいが、たいしたことであればあるほど、知らぬうちに動かされていたりする。
それでも、そうなることは、しかたがない。確固たる自信のある自分など作りようがない。
それよりも、自分は動かされていた、間違っていたと気づいたとき、それをまっすぐに見つめる力と、その後の行動こそが問題なんだ。こう書いていても胃がキリキリしてくるほど、自分にあるその「問題」についての問題が過去の経験から顔を出してくる。
間違っていた自分に立ち向かう勇気。
こまつ座、井上ひさし脚本の『太鼓たたいて笛ふいて』では、そうした精神を持ち合わせていた林芙美子という女性を、かわいらしくも、勇ましく、大竹しのぶが演じていました。
彼女は、日本の残虐性に気づいたとき、絶望しながらもこう言います。
「滅びるにはこの日本、あまりにすばらしすぎる」
この芝居には各所で泣かされたけれど、一番泣けたのはここ。
今の日本も、一度滅びるしかないのではないか、滅びたほうがよいのではないかと思っているのですが、なので70年近くたった今に至ってもやっぱりほんとうにそうだ、と思った……からではなく、かつては滅びるのが惜しいほどにすばらしい国だったのだ、ということに泣けたのです。
全国津々浦々、浜が埋め立てられテトラボットがどこにも置かれ、川が端から端まで三面がコンクリートで覆われ、山林は手入れされることなく荒れ、田は放置され、あらゆる場所に看板が立てられ、この国一番の山でさえゴミで埋まっている、かつては美しかった日本。
やはり芝居の中にあった「貧しくとも豊かな生活」といった価値観は、希望とともに失われて、人びとが疲弊してゆくばかりにみえるこの国。
もはやとうてい、すばらしくなく、ましてや「すばらしすぎる」ことなど決してなくなってしまったこの国。
明治の初めに日本を訪れた外国人が残しているさまざまな文章には、自然の美しさと豊かさ、ほんとうに貧しいながらもやさしさと礼儀を持つ人びと、そのつつましやかな生活への賛美が多く残されています。
ぼくらの世代が、そうしたかつての日本の残滓を感じることのできた最後かもしれない。
そう考えると芝居の中のもうひとつの科白、
「書かなくては。休んでる暇はないんだわ」
を胸に刻まなくてはならない、のですね。泣いてる暇はない、のですね。
