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Recent Articles

13
3月

cat on a router

Posted via Pixelpipe.

Pixelpipeからの投稿テスト。黒い猫は写真に撮るのがとても難しい。

11
3月

微妙な電波

携帯受信アップ効果なし 吉本興業子会社などに排除命令

「携帯電話の電池パック内に入れるだけで、受信状況が向上し、電池が長持ちする」などの宣伝文句で売られていた銅板シートが、実際は表示の効果に全く根拠がなかったとして、公正取引委員会は9日、吉本興業子会社の吉本倶楽部(大阪)など製造販売の4社に対し、景品表示法違反(優良誤認)で排除命令を出した。

via asahi.com(朝日新聞社)2009年3月10日0時1分

大型電器店のケータイ売り場でよく見かけましたけど、そのたびに、どうしてこれに効果があると思うのか不思議でした。しっかし45万個も売れたのか。

今回はちゃんと公取委が命令出したけど(とはいえひととおり稼いだあとで、おそすぎる気もしますが)、買う方も買う方。

やっぱり学校でもうすこしきちんと「基礎的な科学的知識」と、それを元にした「論理的思考」や「懐疑的精神」を身に付けるようにしないと。

でもそういうものを一般市民に身につけてほしくないひとが世の中牛耳ってるってことなんですよね。
政治の世界のサギまがい(というよりサギそのもの)の活動など(郵政民営化とか!)に比べたら、こんな数千円の商品の害なんてかわいいもんです。

吉本倶楽部の言い分がいいや。「再発防止に努めたい」だって。これはやっぱり笑いをとってる……んですよね?

6
3月

閉じ込めるのは難しい

初めてYouTubeにアップしてみました。

こういうレバー式取っ手のドアは自分で開けてしまいます。どうやって学習したんだか。

最初は向こう側からしかできなかったのが、引っ張る必要のあるこちら側からも、一発で開けられるようになりました。

1
3月

新聞はひたすら「記録」に邁進せよ

ぼくは今の日本の新聞というものの必要性を感じていませんが、しかし新聞そのものが不要だと思っているわけではありません。
むしろ絶対に必要だと考えています。
ぼくらがよりよく生きていくためには、いつも考え、いつも判断することが求められます。
考えたり判断するには、そのための材料が十分に存在しなければなりません。
考えたり判断したりするための材料を提供するもの、それが新聞の役割です。

そしてそれができることが新聞の価値です。
これはジャーナリズムや報道全体に言えることではありますが、こうした活動を組織として行うことが必要で、そうなると今の社会のしくみの中では、新聞社というものが、そこにもっとも近い位置にいることは確かです。

記者の役割は、「新」しく「聞」く情報を得ることです。すでに存在するのと同じ情報ではなく、これまでになかった新しい情報を。
その情報を記者が書く。それが記事。
そしてその記事をオープンな情報として保存する。それが記録。

世の中の事実や事象を記録していくこと。
それが新聞の、これからも変わらない、そしてほかのものには代え難い、役割です。

新聞というと、あの大きな紙に印刷されたものを、そしてそれが手から手へ届けられることをつい想起してしまい、それこそが重要であるかのように錯覚します。

でも本質的には、新聞は記録し続けてくれさえすればいいのです。
記録するだけでいい。

この時代、もはやそのあとの「伝える」という工程、一定の長さの文に納め、一定の面積に納め、紙に定着させて大量に複製し、それを津々浦々の玄関まで届けるといった工程は、ネットによって代替されたり、不要になったりします。

記録のデータ化のあと、ひょっとしたらそれを編集するという作業も新聞の役割として残るかもしれませんが、一方でその作業は機械(コンピュータのプログラム)、ほかの企業、そして多数の個人によっても行われることにもなるでしょうから、新聞はその役割においてはワンオブゼムでしかありません。

でも、記録をデータ化し、公開することは、記者を束ねる組織にしかできません。
新聞は、ひたすら記録すべきです。

ただし。
それ以外のことはしなくていい、という思い切りと、
「オープンな情報として保存する」ということの意味への理解。
これは今の日本の新聞社には恐ろしくハードルが高いことで、果たしてできるかどうか。

できなければ無くなってしまうので、なんとしてでもやってほしい、やらなければならない、のですが。

28
2月

新聞にはテクノロジーを視る眼がない

Googleで「インターネットで site:asahi.com」を検索すると、「教えて!北京五輪『みんなにQ&A』」というサイトのページがやたらとヒットします。新聞の記事とは関係がないQ&Aです。しかもどうみても北京五輪とも関係のない質問が大多数。といいますか、「教えて!北京五輪『みんなにQ&A』」のカテゴリ一覧というものを見ると、あらゆる質問を北京五輪さんに教えてもらいたいらしいです。結婚の段取りからRubyまで。博識だな北京五輪さん。

ええと、そもそもなんで「インターネットで site:asahi.com」を検索してみたかというと、新聞にインターネット上の出来事がどのように掲載されているのかを見ようと思ったのでした。

それで気づいたのですが、朝日のサイトにはテクノロジーという大分類がないんですね。

驚いたことに、ネット関連の記事は「ライフ」という大カテゴリの下の「デジタル」、そのさらに下の「ネット・ウイルス」という小カテゴリの中にあります。

そりゃ生活でも重要な役割を果たしていますけれど、それよりも、大カテゴリの最初に並んでいる「社会」「ビジネス」「政治」に非常に大きな影響を与えているのに、そちらには分類されていないということが驚きです。

「ネット」と「ウイルス」が並列なのってどうなの。ウイルスは「ライフ」よりビジネスに対して遥かに大きな影響があるでしょうし。

さらに、このカテゴリに行って記事の一覧をみると、記事がほとんどないことにもまた驚きます。現在は「ネットは今」という連載をやっているのでまだ記事が多く見えますが、それを除くと20日あまりでわずかこれだけ。

  • ヤフオク最高額6億3300万円で落札 和歌山県有地写真付き記事 (2/27)
  • 光回線、売れ行き鈍化し低め目標 NTT新年度事業計画 (2/27)
  • 島根県HPにアクセス650万回 韓国IPアドレス (2/26)
  • 切手誤植を逆手に… 富山の若手ら「連邦」建国写真付き記事 (2/26)
  • ネット中傷被害相談1万件超す 過去最高、警察庁まとめ (2/26)
  • 薬の通販、利便性か安全性か 議論平行線 厚労省検討会写真付き記事 (2/25)
  • 就職サイトに悪口 不正アクセス容疑で大学生逮捕 (2/23)
  • Winny流出で通報 女子高生盗撮容疑で男を逮捕 (2/23)
  • プロフなど一般サイトの児童被害、出会い系上回る (2/19)
  • アマゾン、消された書評 著者・水村さん「公正さ疑う」 (2/17)
  • 楽天、純損失549億円 ネット通販は好調 12月期 (2/13)
  • ネット広告を共同販売へ 本社とロイターなど (2/12)
  • 官公庁ネット公売に怪しい出品 真贋不明、保護動物も写真付き記事 (2/8)
  • 性犯罪者9万人、マイスペースが追放 捜査当局の要請で (2/7)
  • 薬700種以上ネット販売禁止へ 省令改正写真付き記事 (2/6)
  • 「ハッカー」に逆襲、パスワード盗み返す 中3書類送検 (2/5)

これらの記事も、ネットが関連しているというだけでここに分類されているにすぎず、本質的にネットを扱ったものはほんのわずかです。
これ以外のIT関連の記事については提携している他社(BCN、日刊工業新聞、WIRED VISION)の記事を転載しているだけです。

毎日のサイト構成もほぼ同様で、「ライフスタイル」カテゴリの下に「IT・家電」カテゴリ。
読売は第一階層のカテゴリがかなり多く、「クルマ」とか「グルメ」とかもあるのと並んで「ネット&デジタル」があり、そのトップページもあるので朝日毎日よりはまだだいぶまし。ただし内容は、パソコンなどの新製品紹介と、「ライフ」カテゴリにあっていいようなノウハウなど。
(日経はITをメインカテゴリにおいていますが、主にビジネスの視点で、ここで書いている視点とは少し異なるものです)

こうして見て、信じられない思いですけれど、日本の新聞はどこも明らかにITをジャーナリズムの対象とみなしていません。
ネット社会の出来事とその影響について切り込むような、つまりネットを対象としたジャーナリズムは皆無と言ってよさそうです。

ネットやデジタルに限ったことではなく、医療や農業の分野における生命科学や遺伝子工学、あるいは兵器なども含めて、社会基盤としての、そして社会を変革していくエンジンとしてのテクノロジーにフォーカスしていないということが、すでにかなり現代社会から新聞というメディアが隔絶してしまっていることを示していると思います。
New York TimesやWashington Postには、「Technology」というトップカテゴリが当然のごとくあります。

市民の自由と権利をどのように獲得し維持するのか、何を監視すべきか、どのような社会にしてゆくべきか、そうしたことを考えるためのツールであるべきメディアが、必要な情報を提供し得ていないし、するつもりもないらしい、あるいはする能力もないらしい。

新聞の必要性を感じない理由のひとつはこういうことだったのだと改めて気づきました。ネットのブログなんかの方がはるかに様々な情報と視点を提供し、これからの社会のあり方を考える材料を与えてくれていると言えます。