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24
2月

Wordのスタイルと階層に対峙する武器

ぼくの場合、ワープロという種類のソフトウェアを自分から使うことは、ほとんどありません。文章を書くときはアウトラインプロセッサとエディタ、印刷物として体裁を整えるのはDTPソフトを使うので、ワープロの出番がありません。
しかし、書式とレイアウトを持つドキュメントを、編集可能な形でやりとりするための標準的なファイル形式の決定打が未だに存在しないため、そのようなドキュメントを作成するソフトウェアとしては圧倒的なシェアを持っているMS Wordのdoc形式ファイルが事実上の標準になってしまっているという事実があります。
それでいて、そのファイル形式の問題なのかどうかは知りませんが、doc形式をオープンしたときの再現性はソフトによってかなりまちまちで、Windows版Wordとの互換性を売りにしているマイクロソフト製のMac版Wordでさえ、安心してそのまま使えるとは言いがたい状況です。

結局、標準ドキュメントとしてのdocファイル作成ソフトとして、Windows版のMS Wordを使わざるを得ないことが少なからずあります。

話は少し変わりますが、書式を効率良く、正確に整えるには、「スタイル」という機能の利用が必須です。
また、ぼくらが仕事で書くようなドキュメントは、章・節などの論理的な階層構造を持っています。本文中に挿入する箇条書きが階層を持つこともよくあります。
さらに、本文中の他の部分の参照、本文中からの図表の参照、目次、索引、注釈といった多様な参照情報を含んでいます。こうした参照関係の作成と活用が簡単にできる必要もあります。
必要……というか、人間にとって煩雑なこうした作業をこそ、効率よく正確に行えるのがコンピュータを使う意義です。

で、Wordなんですが、まさにこうした作業をしようとすると、うまくいかないんだこれが!
特に上にあげた機能が混在するとき。階層構造を持った見出しのスタイルとか、箇条書きの階層とか、いくらやってみてもわけがわからない。

うまくいかないものだから、とりあえず他のソフトで作って持っていったりしているのだけれど、先の互換性の問題で壁にぶつかることもあり、また最終的にはWordで修正することになるので、その時点で困ったことが多々起きます。

そうは行っても避けて通れぬ道なので、これはソロソロ腰をすえてWordと対峙しなければ……あのWordのヘルプとか、MSのサイトとかを渉猟するべきなんだろうなあと覚悟をきめつつありました。

そんな折、ちょうど別の本を探しに訪れていた書泉で、いつもは完全に通過するOfficeの棚をやや憂鬱になりながらも(憂鬱な理由は上記以外にもあるのだけれど、この点はまた改めて)ながめていたところ……この本を見つけました。

word

エンジニアのためのWord再入門講座
美しくメンテナンス性の高い開発ドキュメントの作り方

ISBN:978-4798117133
佐藤竜一著、翔泳社刊、2008年5月

目次を見、ぱらぱらとめくって見てすぐにこれだ!と。
これこれ! このような本が欲しかった。

まさにぼくの知りたかった、スタイルと階層についての解説がきちんとした文章で書かれていました。

著者の問題意識もぼくととてもよく似ています。
なぜシステムエンジニアやプログラマが作るドキュメントが、データとして扱える形で作られていないのか。
ぼくが不思議に思っていたことに、この著者も疑問を呈し、またいらだっているようにみえます。

ともあれ階層のスタイル。
これを読んでようやくわかりました。
「こうやったらこうなるはず」という予測のもとに操作して、その予測がはずれるだけでなく、思ってもいなかったことが起きる理由が。
三つの別の概念(モデル)が混在した設計になっている。
ななんだってー。

で、そのうちの一つは、インデントの深さから階層を判断するんだと! 論理的な階層にスタイルを割り当てるものと思っていたら、書式(単なる段下げ)が論理構造を定義するしくみになっていたなんて。しかも他のモデルと混在するから、それだけで階層が定義されるわけではないし。
こんなのわかるわけない。なんなんだこの設計……。

いやしかし。
これをもとに、もう少し自分でも探求してみたいと思いますが、原因がわかっただけでずいぶん心が軽くなりました。

ほんとうにこういう解説書が欲しかった。
もっと早く見つけたかったけど、こういうのは検索では探しあてにくい。
リアル書店、特にこの手の本に強い書泉ならではの出会いだったかもしれません。

Wordを開くことが楽しみになった……というのはちょっと言い過ぎかな。
でもWordを、前向きな意味で探求しようと思わせてくれたのは間違いないことです。

23
2月

ここにも卵に寄り添う人が。赤川次郎

赤川次郎さん、というと、軽いミステリー小説の作家、というイメージしかなく、僕が中高の頃、新進作家として一躍人気が出ていたのを横目にしながらも、僕はまったく読まないできました。
しかし最近、社会派な小説を書き、アムネスティに関わるなど、リベラルな活動をかなり精力的にされていたんですね。全然知りませんでした。

(今の状況をどう見ているかと問われて)
状況の変化をどう捉えるかというのも大事ですが、どんな状況になっても人間としてぶれないことが大事だと思います。
「ぶれない」とは?
作家である僕にとってそれは、弱い人の立場に立つというスタンスです。

週刊『金曜日』2009/2/20号 p.34

ついこの間、よく似た言葉を、ぼくとしてはどちらかといえば軟派に分類していた作家から聞いたばかりです。

僕の見る目のなさを恥じいるばかりです……が、しかしうれしい。

こういう方々の、こういう言葉は、元気が出ます。
とりあえず最近の、社会の問題をテーマにしたという作品をよんでみたいと思います。

赤川次郎さんの御尊父は、あの伝説のアニメーション『白蛇伝』のプロデューサーだったとか。東映を辞めてテレビ会社に入ったけれど上司と喧嘩して退職、そのため次郎青年は大学進学せずに就職、校正の仕事をしながら小説を書き始める。御尊父が何で喧嘩をしたかは書かれていないのですが、映画界からテレビ界への転身ですから、映像作品への姿勢の違いとかそういうことかなと想像します。
創作やそれを伝えることの意味について、そして場合によっては生活を危うくしても守らなければいけないことについて、きっと背中からでも学んだことがあるのだろうなあと、これも勝手な僕の想像ですが。

18
2月

『マヴォ』掲載、驚きの『家族喧嘩』

この間模索舎で買ってきた、竹熊健太郎さん責任編集のコミック雑誌『マヴォ』。

扉を開いて……ひとつめの漫画。

1ページめ。ふうん、こういうのが巻頭なんだ……。
2ページめ、上のコマ。お? こういう絵になる?
下のコマ。わ、なんだこれ。
3ページめ、下のコマ。うっとうしいコマ割り!(笑)
4ページめ。すごい! こういう世界なんだ!

いやーお見事。おもしろい。
絵柄(それぞれがまたうまい)、コマの形、スクリーントーン、フォントがちゃんと別の文法で描きわけられている。

誰かが思いついてもよさそうな手法にも思えるけれど、竹熊さんが衝撃を受けたそうだから、誰もやってなかったんですねえ。そうそうできるものではないか。
しかもこの手法を、ティーンエイジャーの女の子がいる家庭によくありそうな(せめてもう少しスカート長くしていきなさい!)言い争いにうまくからめて仕立てあげ、わずか6ページの中で構成した力はたいしたものです。

しかし逆に、このアイディアの長編をぜひ読んでみたいとも思いました。6ページで表現するために、やや説明的になってしまっているのが、やむを得ないのだけれど、もったいない。

それにしても、大学一年生のときにこれを描いたとは。

これは絶対巻頭でなきゃだめです。この漫画を人に見せるために雑誌を作りたくなる。開くとまずこの漫画がある雑誌を。きっとそうに違いない。

模索舎、タコシェ(通販もしているようです)で販売中。下記竹熊さんのページからどうぞ。
たけくまメモ【マヴォ】増刷ができました [cocolog-nifty.com]

17
2月

卒業式撮影禁止

3月に初めての卒業式を迎える和歌山県田辺市学園の県立田辺中学校(浜野公二校長)は、個人情報保護法などを理由に、会場での保護者らによるカメラやビデオ撮影を事実上禁止する方針を立てている。[中略]
同校では、本年度から式典で保護者に撮影をしないよう求めており、入学式の際は、保護者あての案内ハガキに「個人情報保護法により、写真・ビデオの撮影等ご遠慮ください」と記載したり、会場で協力を呼び掛けたりした。(2/16 紀伊民報)

保護者からなんで撮影させないのかと不満が出ているそうですが、そもそも個人情報保護法は理由にならないでしょう。どんな法律だと思っているのか。

県教委は「学校が決めた事柄で、県教委が良い悪いは言えない。良識の範囲内の撮影なら法律には抵触しないだろう」と話している。(同)

って、教育委員会もよくわかってないみたいです。
「良識の範囲内」ってそんなあいまいな。

個人情報保護法っていえば「なんでもダメ」になると思っているのが、言っている本人だけでなく、保護者や教育委員会までそうなので困ります。
新聞も、ちゃんと正確な情報を伝えるべきでしょう。こんなことだから新聞の存在意義が疑われるのです。
なんで誰もちょっと考えてみる、調べてみるということすらしないのかな。

こういうのを知るたびに、「成熟した市民社会」なんかほど遠いよなあと思います。

個人情報保護法は「5000件以上」の個人情報を保持する「事業者」が対象なので、そもそも個人が扱う情報は個人情報保護法にはまったく関係がない。

もちろん嫌がる生徒や親がいるかもしれず、だとすればそれは尊重しなければなりませんが、そういう声があるということは報道にはありません。それでもそうだとした場合、ひっかかるとすれば肖像権であって、個人情報保護法によるものではないですよね。

が、一方では記念に残したいという親も多いでしょうし、個人が撮影することを制限するかどうかは、一方的に法を適当に解釈しながら通達するようなもんではなくて、学校と親たちが話し合って決めればいいことです。撮影したものを公表することを制限するならまだしも。

ところで「田辺市学園の県立田辺中学校」って私立なのか市立なのか県立なのか「?」でしたが、「学園」という地名なんですね。

17
2月

どんなに卵が間違っていても

どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ。

村上春樹のスピーチを訳してみた [hatena.ne.jp]

いい言葉だ。勇気をもらえる。全文をぜひ読みたいものです。

スタンスは明快になった。この機会に、まだ読んでいなかった作品も読もう。