おくればせながら、ポニョ。
みた直後の感想は、宮崎駿の想像力は果てどもないな、というもので、豊かな想像力で生み出された映像の楽しさにひたっていました。
でも相棒と話しながらいろいろ考えてみると、どうも今までの宮崎作品とはずいぶん違うよな、ということに。
世界観の構築がうまくできていない、それぞれの人物が(他作品に登場する、きらめくような人たちに比べると)あまり魅力的でないし人格がよくわからない、というのが特にひっかかります。宮崎駿が作ったんじゃないんじゃないかとか、よほど何か激しく横やりが入って好きなように作れなかったんじゃないかとまで思えたりして。
人物像、としては例えばフジモトさん。今ひとつ食い足りない。彼を主人公にした話が観たいなあ。
映画には出てきませんでしたが、設定によれば、かつてはあのノーチラス号の乗組員だったとか……それだけでも十分面白そうですが、どうやってポニョのお母さんと出会い、どうして結婚することになったのか、なんで離れて暮らしていて「あの人」なんて呼ぶのか……えらくおもしろそうな人生なのに、ポニョではそれが描写されていなくて。
それと、『ザ・デイ・アフター・トゥモロウ』や、『ディープインパクト』、『アルマゲドン』のような、世界的災厄をテーマにした映画を見たあとに感じることと同様の、いやーな感じも。映画のエンディングはなんだかハッピーになってるけど、でも地球規模でたいへんなことになってるんですよね? このあとどう考えても大規模な災害が起こり、もしくはすでにおこっていて、億の単位で人が死にますよね。ハッピーエンドどころか、めちゃくちゃ悲劇じゃないですか、という。
そもそもなぜこの話で地球規模の災厄(のように見えないけど実際はそうだしフジモトさんはそれを恐れていた)を起こす必要があったのかなあ。
それから、古代生物好きとしては、ああいった生き物たちが動いているのを観るのは楽しいけれど……。
フナムシいっぴき入り込んだら大変なことになる、というところに大量の海水と生き物が流れ込んだあのあとはどれほど大変なことになるのだろう、とか。デボン紀の水棲生物がなぜ復活して成体で泳いでいるのか、とか。生態系を壊すことを気にしているフジモトさんはどうしてカンブリア紀の大爆発に匹敵する生物の多様化をめざしていたんだろうか、とか。そう言えばそもそも今以上に多様化させることでどうして人間が壊した環境を戻すことができるんだろう。
こういうこと言うと、深く考えないで楽しむ映画だよ、というような反論されることもありますが、ならば「何かあるんではないか」と考えさせるような要素を排除すべきであって、楽しませることに失敗してるわけですよね。
知らなくても楽しめて、知っていればもっと楽しめる。考えなくても楽しめて、考えるともっと楽しめる。
少なくとも宮崎駿の作品はそういう魅力にあふれていたはずなんだけれど。
だって彼は、知っているし、考えている人なんだもの。
知識や思考をもとにした、豊かな想像力。
それが彼の魅力であるはず。
なんかへんだ。どうなってるんだろう。