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Posts from the ‘日記・つぶやき’ Category

2
5月

「自民党が変えた憲法を見てみる」ウェブ版

前に、自民党の憲法草案が日本国憲法をどう変更しているか、をWordの履歴機能で比べてPDFにしたのを作りました(Wordの履歴機能で、自民党が変えた憲法を見てみる) が、そのウェブ版を作りました。

http://editorium.jp/kenpo/const.html

まだ作りかけです。が、明日は憲法記念日なので公開しときます。

いちおう、現行憲法と草案に切り替えて表示できるようにしたのですが、長さが変わっているのでずれてしまい見にくい。条文ごとに切替ボタンをつけるかなと思ってますが、今のところは切り替えて見るには適しません。

とりあえず両方を同時に見たり、iPhoneで見る用にはいいかと思います。

24
1月

Happy Birthday, Macintosh.

Macintosh、インターネット、iPhoneの誕生を目の当たりにできる時代と場所、環境にいられたことは、本当に幸福なことであった。そしてこれらのいずれにも、自らの仕事として深く関わり続けられてきたことも。
しかし、これらはぼくにとって、単なる道具ではないし、単なる商売のネタでもない。
いずれも、情報を力とすることで人類が大きく文明を変えてゆく、そのエンジンやインフラであり、したがって自由と民主主義を進めるための武器であり、また人間が単調な作業の繰り返し、移動や運搬にかかる時間を省き、創造的な作業や豊かな相互理解にその短い人生をかけることができるようにするための、身体や脳の延長であり、だからこそこれらにぼくは希望を抱き続けてきたし、これからも抱いてゆく……そう、この社会にあって、これらは数少ない希望だ。
タンクトップの女性アスリートがハンマーをビッグブラザーに投げつけた30年前の映像(※)は、人々を自由にする道具——Macintosh——を提供するというアップルの宣言だった。そして、1984年のあのときよりも今の日本はずっと『1984』に近づいていはしないだろうか。

アップルはずっと哲学を抱き続けてきたと思う。前のエントリーに書いたように、ジョブズ追放の間も、その哲学は残った者たちの中で地下水脈として生きながらえていた。
ジョブズ亡きあとのアップルがその哲学をどう継承するかはまだはっきりとは見えないが、しかしながら、アップルとジョブズが、言葉ではなく、その製品とサービスのありようによってこそ伝えてくれたものは、ぼくのような者の中にも血となり肉となって息づいている。

キヤノン01ショップに毎週末通っては、展示されていたデモ用のMacintoshにかじりつき、そこにコンピュータと人の関わり方の未来を感じてワクワクしていた若者も、いまや50過ぎのおっさんである。
Macは初めからすばらしかったが、それでも著しくマイナーな環境だったから、ぼくはいつもアップルが無くなることを、Macが無くなってしまうことを恐れていたような気がする。
それがどうだろう。
あれから30年もたった今こうしてぼくは、左上にあのときと同じようにアップルマークのある画面で、こうしてテキストを書いている。

Happy Birthday, Macintosh.

 

1
8月

「メモ」のアイコンにも、すごく汚い「Think Different」が。

Mac OSのテキストエディットのアイコンに、往年のアップルのCM「Think Different」のコピー「Here’s to the crazy ones. …」が書かれているのは、割と有名です。

textedit

で、「メモ」のアイコンにも何か書いてあるけど、いわゆるミミズののたくったような字で、意味のあるものだと思っていませんでした。

memo

ですが、待てよ……と思って対照してみたら……これもどうやらThink Differentのようですね。すっごい汚い(くずした)字で書かれた……。

解読つき↓

memo_crazy

 

 

 

おまけ。Jeditのアイコンに書かれているのは、竹取物語のクライマックス、天の羽衣の一節。

jedit

20
6月

1977年へのタイムトラベル

この間の土曜日、中学校のときの同期会が開催された。みんなが50歳になった記念。
これまでにクラス会をやっていた組もあったようだけれど、学年全体で開催するのは初めて。
ぼくもごく一部の友人とは会う機会があったが、それも近くて十年以上前だった。
なのでほとんどの人と、35年ぶりの、再会。

50にもなると、名前を呼び捨てにし合う関係が新たにできることはとても少ない。呼び捨てで名前を呼ぶこと、呼び捨てで呼ばれること、そんなことがまずずいぶん久しぶりのことだった。
それにあの頃は女性の——と書くとどうも違和感があるな、女子の名前も男友達と同様に呼び捨てで呼んでいて、ぼくにとってそれは同性も異性も同じ距離感をもって接することができているような、気持ちのいい関係性を示すものだった。
35年たった同期会の会場の中で、当然のように復活したそういう関係性。そんな関係性を持つ相手が一対一ではなく、まわりじゅうみんなお互いそうなのだ。
ぼくは高校が男子校だったし、大学生になったらなったでそれなりに大人で個々人がばらばらに活動するので、「みんな同じ立場」という感じではなくなった。だから、異性も同性もあわせて同じ立場の固まりの中にいる、という環境は、考えてみればぼくには中三のときが最後だったのだ。
みな同じ立場、みな対等であるということの、なんと気持ちのよいことだろうか。そしてそれが35年たってもそのまま変わらないことのうれしさ。

いまこの年になっての3年間とは比べものにならない、十代の時間。
あの時間を同じ空間で過ごした仲間が、姿は少し変わっても(記憶の中とまったく変わらない人もいてそれもびっくりしたけれど)、あのときと同じようにいてくれて、同じように会話ができる。
わずか数時間では、お互いの仕事や家族のことをそれぞれ聞くだけで精一杯だった。でもそれだからこそ、なんだか中学のときに大して実の無い親の悪口や勉強の心配を語っていたのと変わらないよなあという気にもなって。
これを機会にもっとしばしば会うようになれば、大人としての会話をするようになってゆくだろう。それはそれで楽しみなことだけれど、かつてあの教室の隅や廊下の端で、あるいは校庭を臨むベランダや、校庭のけやきの樹の下で、今となっては何を話していたかすら覚えていないのたわいのない会話の数々……それが35年目の同期会の会場で再現されていたようなおもしろさがあった。

それにしても。
人というものは、中学生の年齢で既にもうすっかり形作られているものなのだなあ。
表情のとりかた、笑い方、声、しぐさ、しゃべり方……みな例外なく35年前に見た記憶のあるそのままだった。
ほんとうにびっくりするぐらい、みんなあの時のままだった。
だから、目の前で繰り広げられる友人同士の会話を聞いていると、教室の中でやっぱりこうしてぼくは友人たちの会話を聞いていたのかなあということを思い出す……というよりも、そのときの気分にすっかりなってしまっていたような気がする。男同士でふざけあっていたり、女の子同士で顔寄せ合ってくすくす笑っていたり、そんな風景を眺めるのがなんとなく楽しくて、眺めながらときどきそこに混ぜてもらう。同期会の中でのぼくがそんなふうなんだから、かつてのぼくもやっぱりそんなふうだったんだろう。

二次会の会場を後にして、みんなと別れての帰宅後。
家族と会話しながら、じゃれついてくる猫に餌をやっていて、とても不思議な気分になった。
さっきまで、あの3年F組の教室にみんなといて、それからタイムトラベルをして35年後の世界に戻ってきた。そんな気分。

昔を懐かしみながら、今のお互いを語る……そんな会を想像していたのだけれど、そしてもちろん表面的にはそのとおりの会だったのだけれど、でも実際にぼくが感じたのは「懐かしい」という言葉とはずいぶん違うものだった。
みんなの存在が互いに交信し合うことで、今はもうない西戸山中学校という空間がその場に時を超えて生成されていたような感覚。
35年前に「戻っていた」のではなく、35年前の空間がそこにあったような感覚。ぽっかりとタイムトンネルが開いていて、その向こうにいたような経験。
たしかに現実として存在していたのに、いま目の前にある現実とはまた別の世界にいたような。

この間、もしみんなとしばしば会っていたら、そのときどきで記憶に重ね塗りがされて、時間を超えるような感覚を得ることはできなかっただろう。
こんな不思議で幸福な感覚は、あの晴れやかな卒業式から数えて35年間、それぞれがみな、それぞれの人生を自分なりに歩んできたご褒美なんじゃないか、と思ってみたり。

半年以上もかけて、今回の会を企画し、煩わしい連絡などの作業をし、開催してくれた友人たちに、ほんとうに感謝。

そして今この時代を共有してくれている同窓の仲間たち、お元気でいてくださる先生がたの存在に心から、ありがとう。

25
3月

Keynote:Mac版とiOS版の互換性(Keynote for iOSで使えるエフェクト / 2012-0325)

iOS版のKeynoteで、Mac版にあるエフェクト(アニメーション効果)のどれが使えるかの対応表です。
iOS版Keynoteが1.6になって、利用できるエフェクトが増えたので、1/30の投稿の内容を更新しました。(1/30のほうを見る必要はありません)

今回のアップデートで、ビルドについては「コンバージェンス」を除いてすべてのエフェクトが使えるようになりました。
ただ、依然としてアクションビルドは対応していません。ぼくはこれを利用することが多いので、とても残念。ぜひ対応してもらいたいところです。

Mac版とiOS版で、同じアニメーションなのに名称が異なるものがあります。どうしてこんな微妙な名称の違いがあるのかよくわかりません。統一すべきでしょう。
これら(押し出し/プッシュ、コンフェッチ/コンフェッティ、落下/フォール、拡大/大きく拡大縮小)については「◯」の代わりにiOSで使われている名称を記載しました。
また、「リピール」はiOS版に見当たらないのですが、実際には「出現」という名称のトランジションがリピールです。トランジションに「出現」はあり得ないですし、これは間違いでしょう。

▼ 表をクリックするとPDFで表示します

Keynote effects table

Keynoteのエフェクトの対応

なお、Mac版のKeynote ’09は、それまでのバージョンと比べて、利用できるエフェクトの増減があります。ただし減った分も、環境設定によって利用できるようになります。

表の「旧」という欄に「◯」を記載したエフェクトは、このオプションをオンにすることで利用できるものです。

Keynote setting

Keynoteの環境設定で、古いKeynoteにあったイフェクトを使えるようにする