花束を。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の存在を萩尾望都の漫画で知った、とTwitterやFacebookで語っている人が幾人かいた。ぼくと同じだ! なんだかうれしい。
『毛糸玉にじゃれないで』は日常を描いた何ということのない短編漫画なのだが、そこに登場する少年の
「キースのアルジャーノンなんかさ わくわくするな」
という短いセリフは、なぜか深く心に残るものだった。
このたった一言のセリフが、ぼくを含む少なくない人をあの作品に導いたのだ。
実際に『アルジャーノン』を手にとったのは漫画を読んでから何年もあとのことだった。「これが、あのアルジャーノンか」。
『アルジャーノン』を読み始め、読み進めた時の驚き、読み終わりでの思いは、その時からさらに三十年ほどたった今でもほんとうに忘れがたい。深く息を吐いて、暖かな涙が流れた。
読み終わってみると、あの少年の「わくわくする」という気持ちはまさに『アルジャーノン』であるからこそ、であることを改めて理解して、そう少年にしゃべらせた漫画家が『アルジャーノン』とダニエル・キイスと、そしておそらくは翻訳家に対して親しみのある敬意を抱いていたことを強く感じた。そのことに、二重に涙した。
ダニエル・キイスというひとりの作家が言葉で編んだ花束が、小尾美佐という翻訳家の言葉と、萩尾望都という漫画家の言葉でリレーして、読者である自分に届けられたようなイメージを抱いている。
ダニエル・キイスの訃報を聞いて、たぶんだれもが言いたくなるだろう最後のセリフは、胸の中でそっと言うことにしよう。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス著、小尾美佐訳
文庫本にもなったけど、単行本のほうのの華やかな花の絵の表紙がやはり好きだな。
http://www.amazon.co.jp/dp/4152033932/
『毛糸玉にじゃれないで』萩尾望都
小学館文庫『ルルとミミ』に収録。
http://www.amazon.co.jp/dp/4091913504
新聞はひたすら「記録」に邁進せよ
ぼくは今の日本の新聞というものの必要性を感じていませんが、しかし新聞そのものが不要だと思っているわけではありません。
むしろ絶対に必要だと考えています。
ぼくらがよりよく生きていくためには、いつも考え、いつも判断することが求められます。
考えたり判断するには、そのための材料が十分に存在しなければなりません。
考えたり判断したりするための材料を提供するもの、それが新聞の役割です。
そしてそれができることが新聞の価値です。
これはジャーナリズムや報道全体に言えることではありますが、こうした活動を組織として行うことが必要で、そうなると今の社会のしくみの中では、新聞社というものが、そこにもっとも近い位置にいることは確かです。
記者の役割は、「新」しく「聞」く情報を得ることです。すでに存在するのと同じ情報ではなく、これまでになかった新しい情報を。
その情報を記者が書く。それが記事。
そしてその記事をオープンな情報として保存する。それが記録。
世の中の事実や事象を記録していくこと。
それが新聞の、これからも変わらない、そしてほかのものには代え難い、役割です。
新聞というと、あの大きな紙に印刷されたものを、そしてそれが手から手へ届けられることをつい想起してしまい、それこそが重要であるかのように錯覚します。
でも本質的には、新聞は記録し続けてくれさえすればいいのです。
記録するだけでいい。
この時代、もはやそのあとの「伝える」という工程、一定の長さの文に納め、一定の面積に納め、紙に定着させて大量に複製し、それを津々浦々の玄関まで届けるといった工程は、ネットによって代替されたり、不要になったりします。
記録のデータ化のあと、ひょっとしたらそれを編集するという作業も新聞の役割として残るかもしれませんが、一方でその作業は機械(コンピュータのプログラム)、ほかの企業、そして多数の個人によっても行われることにもなるでしょうから、新聞はその役割においてはワンオブゼムでしかありません。
でも、記録をデータ化し、公開することは、記者を束ねる組織にしかできません。
新聞は、ひたすら記録すべきです。
ただし。
それ以外のことはしなくていい、という思い切りと、
「オープンな情報として保存する」ということの意味への理解。
これは今の日本の新聞社には恐ろしくハードルが高いことで、果たしてできるかどうか。
できなければ無くなってしまうので、なんとしてでもやってほしい、やらなければならない、のですが。
新聞にはテクノロジーを視る眼がない
Googleで「インターネットで site:asahi.com」を検索すると、「教えて!北京五輪『みんなにQ&A』」というサイトのページがやたらとヒットします。新聞の記事とは関係がないQ&Aです。しかもどうみても北京五輪とも関係のない質問が大多数。といいますか、「教えて!北京五輪『みんなにQ&A』」のカテゴリ一覧というものを見ると、あらゆる質問を北京五輪さんに教えてもらいたいらしいです。結婚の段取りからRubyまで。博識だな北京五輪さん。
ええと、そもそもなんで「インターネットで site:asahi.com」を検索してみたかというと、新聞にインターネット上の出来事がどのように掲載されているのかを見ようと思ったのでした。
それで気づいたのですが、朝日のサイトにはテクノロジーという大分類がないんですね。
驚いたことに、ネット関連の記事は「ライフ」という大カテゴリの下の「デジタル」、そのさらに下の「ネット・ウイルス」という小カテゴリの中にあります。
そりゃ生活でも重要な役割を果たしていますけれど、それよりも、大カテゴリの最初に並んでいる「社会」「ビジネス」「政治」に非常に大きな影響を与えているのに、そちらには分類されていないということが驚きです。
「ネット」と「ウイルス」が並列なのってどうなの。ウイルスは「ライフ」よりビジネスに対して遥かに大きな影響があるでしょうし。
さらに、このカテゴリに行って記事の一覧をみると、記事がほとんどないことにもまた驚きます。現在は「ネットは今」という連載をやっているのでまだ記事が多く見えますが、それを除くと20日あまりでわずかこれだけ。
- ヤフオク最高額6億3300万円で落札 和歌山県有地写真付き記事 (2/27)
- 光回線、売れ行き鈍化し低め目標 NTT新年度事業計画 (2/27)
- 島根県HPにアクセス650万回 韓国IPアドレス (2/26)
- 切手誤植を逆手に… 富山の若手ら「連邦」建国写真付き記事 (2/26)
- ネット中傷被害相談1万件超す 過去最高、警察庁まとめ (2/26)
- 薬の通販、利便性か安全性か 議論平行線 厚労省検討会写真付き記事 (2/25)
- 就職サイトに悪口 不正アクセス容疑で大学生逮捕 (2/23)
- Winny流出で通報 女子高生盗撮容疑で男を逮捕 (2/23)
- プロフなど一般サイトの児童被害、出会い系上回る (2/19)
- アマゾン、消された書評 著者・水村さん「公正さ疑う」 (2/17)
- 楽天、純損失549億円 ネット通販は好調 12月期 (2/13)
- ネット広告を共同販売へ 本社とロイターなど (2/12)
- 官公庁ネット公売に怪しい出品 真贋不明、保護動物も写真付き記事 (2/8)
- 性犯罪者9万人、マイスペースが追放 捜査当局の要請で (2/7)
- 薬700種以上ネット販売禁止へ 省令改正写真付き記事 (2/6)
- 「ハッカー」に逆襲、パスワード盗み返す 中3書類送検 (2/5)
これらの記事も、ネットが関連しているというだけでここに分類されているにすぎず、本質的にネットを扱ったものはほんのわずかです。
これ以外のIT関連の記事については提携している他社(BCN、日刊工業新聞、WIRED VISION)の記事を転載しているだけです。
毎日のサイト構成もほぼ同様で、「ライフスタイル」カテゴリの下に「IT・家電」カテゴリ。
読売は第一階層のカテゴリがかなり多く、「クルマ」とか「グルメ」とかもあるのと並んで「ネット&デジタル」があり、そのトップページもあるので朝日毎日よりはまだだいぶまし。ただし内容は、パソコンなどの新製品紹介と、「ライフ」カテゴリにあっていいようなノウハウなど。
(日経はITをメインカテゴリにおいていますが、主にビジネスの視点で、ここで書いている視点とは少し異なるものです)
こうして見て、信じられない思いですけれど、日本の新聞はどこも明らかにITをジャーナリズムの対象とみなしていません。
ネット社会の出来事とその影響について切り込むような、つまりネットを対象としたジャーナリズムは皆無と言ってよさそうです。
ネットやデジタルに限ったことではなく、医療や農業の分野における生命科学や遺伝子工学、あるいは兵器なども含めて、社会基盤としての、そして社会を変革していくエンジンとしてのテクノロジーにフォーカスしていないということが、すでにかなり現代社会から新聞というメディアが隔絶してしまっていることを示していると思います。
New York TimesやWashington Postには、「Technology」というトップカテゴリが当然のごとくあります。
市民の自由と権利をどのように獲得し維持するのか、何を監視すべきか、どのような社会にしてゆくべきか、そうしたことを考えるためのツールであるべきメディアが、必要な情報を提供し得ていないし、するつもりもないらしい、あるいはする能力もないらしい。
新聞の必要性を感じない理由のひとつはこういうことだったのだと改めて気づきました。ネットのブログなんかの方がはるかに様々な情報と視点を提供し、これからの社会のあり方を考える材料を与えてくれていると言えます。
『マヴォ』掲載、驚きの『家族喧嘩』
この間模索舎で買ってきた、竹熊健太郎さん責任編集のコミック雑誌『マヴォ』。
扉を開いて……ひとつめの漫画。
1ページめ。ふうん、こういうのが巻頭なんだ……。
2ページめ、上のコマ。お? こういう絵になる?
下のコマ。わ、なんだこれ。
3ページめ、下のコマ。うっとうしいコマ割り!(笑)
4ページめ。すごい! こういう世界なんだ!
いやーお見事。おもしろい。
絵柄(それぞれがまたうまい)、コマの形、スクリーントーン、フォントがちゃんと別の文法で描きわけられている。
誰かが思いついてもよさそうな手法にも思えるけれど、竹熊さんが衝撃を受けたそうだから、誰もやってなかったんですねえ。そうそうできるものではないか。
しかもこの手法を、ティーンエイジャーの女の子がいる家庭によくありそうな(せめてもう少しスカート長くしていきなさい!)言い争いにうまくからめて仕立てあげ、わずか6ページの中で構成した力はたいしたものです。
しかし逆に、このアイディアの長編をぜひ読んでみたいとも思いました。6ページで表現するために、やや説明的になってしまっているのが、やむを得ないのだけれど、もったいない。
それにしても、大学一年生のときにこれを描いたとは。
これは絶対巻頭でなきゃだめです。この漫画を人に見せるために雑誌を作りたくなる。開くとまずこの漫画がある雑誌を。きっとそうに違いない。
模索舎、タコシェ(通販もしているようです)で販売中。下記竹熊さんのページからどうぞ。
たけくまメモ【マヴォ】増刷ができました [cocolog-nifty.com]
思いの置かれし場所:模索舎
四ッ谷で髪を切ったあと、新宿で食事の予定だったのですが、暖かなお散歩日和だったので歩いてゆくことに。
御苑の前まできて、そう言えば竹熊健太郎さん編集、多摩美の学生ほかが描いた自費出版コミック誌 [mosakusha.com] を模索舎に置いたと彼のブログにあったことを思い出して、すごく久しぶりに立ち寄ってみました。
造りもコンセプトもまったく変わらず、置かれている本たちのテーマはもちろん今のもの。こういう場所をずっとつづけていてくれることに頭が下がります。
いまどきチラシや冊子や自費出版本はウェブがその機能を相当代替していますが、依然としてあの狭い店の棚を埋めるだけのものは充分出ていて、あそこにいかなければ出会えないだろうものが、変わらずに置かれています。
模索舎以外にはありえない選択と棚の編集。
ほかの場所ではお目にかかることのない民族派の冊子など、自分とは違うかもしれないけど、だからこそ興味を惹かれるもの多数。本当はもう少しゆっくりいろいろ見たかったけれど、トイレにいきたくなったのを機に退出。
たけくまコミックのほか、『ビッグイシュー 突破する人びと——社会的企業としての挑戦 』を購入。
版元ドットコムのメーリングリストで話題になっていた、ポット出版のISBNコード付き図書目録もあったのでいただいてきました。
稀有な場所、また機会をみて行ってみましょうかね。