見えないものを見る
テレビでは、驚くほどたくさんの、意味のない番組が流されています。
不況でありながら、というよりは、不況であるがゆえに、テレビ局もお金をかけない安易な番組を量産するのでしょう。
いまあたたかで静かな部屋でぼくがこうしてブログを書いているこのとき。
年末に行った上野の公園の片隅に並んでいた、いくつかの小さなブルーテントに棲んでいる人たち。
東京駅の地下駅の長く広い通路に、点々と横たわっていた多くの人たち。
あの人たちは皆あの場所で年を越し、今も寒さに耐えているのでしょうか。
クリスマス直後から始まった、イスラエルによる空爆。
400人を超す死亡。何十人もの子どもも殺されてしまったことが、戦火の元にいる人から、発電機を使ってメールで伝えられています。
子どもを亡くした親たちは、F16の爆音と、すぐそばで起きるミサイルの破壊音に身を縮めながら、絶望的な悲嘆にくれているのではないでしょうか。
テレビや新聞では見えないものがたくさんある。
知り、感じ、想像する。
オルタナティブなメディアで知る。リアルで感じる。異なる立場を想像する。
そのことをもっと、意識的にしていかなきゃと思う、年の始めです。