テレビはウソでいい、とテレビは思ってる
テレ朝の「仕込みブログ」 1か月もウソばらまいていた! [j-cast.com]
たぶん、テレビ局や制作会社の人たちは、このことをたいして悪いと思っていない。
テレビにとっては、ウソが常道なんですね。
これがすごく問題なのは、こうした意識がテレビにとって致命的な打撃になるということを、テレビ側が気づいていないこと、だと思います。
懐疑心を抱いたり、疑問を持つことを習慣的に行っている人は、これまでもテレビのウソをわかっていて、そういうものだと思っていたし、ひどい場合には批判もしてきました。
でもテレビを見る大半の人は、テレビが報じることには信頼性がある、と思ってきたでしょう。
それが前提でなければ、ネットは信用ならないということをテレビで伝えることに意味がない。
でもその前提は、まさにネットによって崩れはじめていて、ケータイからでも検索すればすぐに様々な情報が見つかります。確かに玉石混淆だけれど、玉石混淆であることも検索結果を見ればわかることなので、ネット上の何か一つのソースを信用するのは危険だ、ということにすぐに気がつきます。誰でも書けるのだから、いろんな知り合いに聞くのと同じで、正しい答えと間違った答えがある、という当たり前のことです。
なので様々な情報の中から、自分が正しいと思う情報を見つけ出すことを強いられます。
ここがテレビとはまったく違う。
テレビは、だから自分たちのほうが信用してもらえる、と思っている。
でもそうじゃない。玉石混淆だからこそ、信用できるのです。
ウソかどうかわからない一つの情報より、ウソもホントもいろいろある情報の方が信用できる。
たしかにそれが面倒だという人もいます。そういう人は自分が信頼できると思うソースのみからの情報で満足するでしょう。でもそういう人はどんどん少なくなるでしょう。
今回の発覚で、少なくともテレビもウソをつくということ、テレビの情報には玉だけでなく石もあることを自ら語ってしまいました。というか、石をわざわざ作ってしまったんですね。
こういうことが何度かあれば、テレビの報じることは玉よりもむしろ石のほうが多く、しかもその石はテレビによって作られたものだ、ということにいやでも気づいてしまいます。
かつてはそうやって石を作ってでも、それが面白ければよく、たいしたことでなければ多少騙すようなことがあっても許されました。というか気づかれることがあまりなかった。
でもそうではなくなっている状況があるのに、前と同じコトを繰り返すのは、テレビの信頼性を自ら下げる結果にしかならない……というより、ただでさえテレビはやばい状況なのに、どんどんそれを加速させるばかりです。
そのことに気づいていない、ということが、一番痛い。
制作者がたいして意識もせずに作ってしまったということもさることながら、「公に見られるところでしてしまった」ことが(ウソを作ったことではなく)反省点であると広報部が公式に発言していることに、まだ気づいていないという痛さが見えます。見えないところでやればウソでもよかった、と言っているわけで。
テレビは、もうだめだなあ、と思うことばかりですね。
テレビッ子だった自分が、今は見たいものだけ録画して見ているなぁと、最近は思います。
1、2年前くらいから、あたかもテレビは正当なように報道しながら、自分のテレビ局のこととなると、全く報道しなかったり、やらせや仕込みであることを認めようとしなかったりすることに、見ていて吐き気が出てくる思いがしたくらいでした。
森達也さんは、ドキュメンタリーでさえ作られたものであることに変わりがないと言っていたように、映像があっても真実は映らないものだと思います。
もうテレビは地デジへの移行も進んで、どんどんチャンネル数も増えていき、見たいものしか見ないものになっていくのでしょうね。
どうせなら、見たい番組はiTunesで買って見られるようになればいいのになぁと
思ったりします。
もうテレビも新聞もいらない。
こんにちは。成清です。ここのところたま〜に拝見しています(笑)
十年以上前のことですが「やらせ」についてのテレビの特番を見ていたところ、NHKのドキュメンタリー(もしくはニュース)のディレクターが『ある程度の演出(やらせ)ができないとテレビはやっていられない』『視聴者は演出であることが分かっているはず(だから何も言わずに演出してもよいんだ)』などと発言していて、随分とおごった考え方だなと思った記憶があります。テレビはどうも視聴者とはかけ離れたところで明後日の方向を見ているんだなぁと。もちろん全員ではないんでしょうが。
このままだと淘汰されちゃうんじゃないですかね。。
@ゆひQ
真実が映像に映らない、というよりは、映像は真実を映したごく一部であり、その一部は映像を撮り編集している人によって選ばれ作られているもの、ということだと思います。
ネットの情報もあるし、ビデオにはレンタルもオンデマンドもあるし、放送は、録画するだけの価値があるものだけ選んでみる、ということに、必然的になってきますよね。
ジョブズ御大はお休みに入ってしまったけど、アップルにはもうひとがんばりして、ガラパゴスな日本の放送業界にも黒船をよこしてほしいところですね。
@なりきよ
そのディレクターが、森さんの言うような意味で「演出」が必要と言っていたのなら、それはそれで正しいと思うんだけど、とはいえ「演出」とか「やらせ」とかいう言葉で表現されてしまうと、視聴者は反発しか覚えないよねえ。
つまり上のコメントにも書いたような、「選ばれ作られているもの」というリテラシーの必要性を視聴者に伝えなければならないのに、逆効果になってしまう。
そのディレクターが、森さんの言うような意味で「演出」が必要と言っていたのなら、それはそれで正しいと思うんだけど、とはいえ「演出」とか「やらせ」とかいう言葉で表現されてしまうと、視聴者は反発しか覚えないよねえ。
つまり上のコメントにも書いたような、「選ばれ作られているもの」というリテラシーの必要性を視聴者に伝えなければならないのに、逆効果になってしまう。
そのディレクターが、森さんの言うような意味で「演出」が必要と言っていたのなら、それはそれで正しいと思うんだけど、とはいえ「演出」とか「やらせ」とかいう言葉で表現されてしまうと、視聴者は反発しか覚えないよねえ。
つまり上のコメントにも書いたような、「選ばれ作られているもの」というリテラシーの必要性を視聴者に伝えなければならないのに、逆効果になってしまう。
真実が映像に映らない、というよりは、映像は真実を映したごく一部であり、その一部は映像を撮り編集している人によって選ばれ作られているもの、ということだと思います。
ネットの情報もあるし、ビデオにはレンタルもオンデマンドもあるし、放送は、録画するだけの価値があるものだけ選んでみる、ということに、必然的になってきますよね。
ジョブズ御大はお休みに入ってしまったけど、アップルにはもうひとがんばりして、ガラパゴスな日本の放送業界にも黒船をよこしてほしいところですね。
真実が映像に映らない、というよりは、映像は真実を映したごく一部であり、その一部は映像を撮り編集している人によって選ばれ作られているもの、ということだと思います。
ネットの情報もあるし、ビデオにはレンタルもオンデマンドもあるし、放送は、録画するだけの価値があるものだけ選んでみる、ということに、必然的になってきますよね。
ジョブズ御大はお休みに入ってしまったけど、アップルにはもうひとがんばりして、ガラパゴスな日本の放送業界にも黒船をよこしてほしいところですね。