「人権派」でない弁護士がいるの?
「人権派弁護士」という言葉を見ることがあります。
多くの場合、これは揶揄に使われているようです。
この言葉を見るたびにユウウツになります。
人権を尊重しない弁護士はいない、はずです。
人権尊重は日本国憲法の根幹ですから、そこを抜きにして弁護士としての活動はできるはずがありません。だから弁護士自身が、「自分は人権派だ」と言うこともないでしょう。ぼくが弁護士なら言わない。
もし人権を尊重していないとしたらそれは弁護士の名にも資格にも値しない人でしょう。弁護士よりも「エライ権力者」になりたかったんだろうなあという人が最近目立ってたりしますが、まあそういう人です。
こういう揶揄をする人は、弁護士は人権を尊重しなくてよいと思っている、ということなんですよね。
さらには、人権を尊重するような輩はロクな奴ではない、と思っているように聞こえるのですが、どうなんでしょうか。
ここのところにぼくのユウウツの種はあります。
人間の社会が目指してきたのは、すべてのひとの幸福。そのための礎である人権。
そのようにぼくは理解していますが、「人権派」という言葉を使う人は、「人権を尊重するのは一部の特殊な人であり、人権なんてフツー尊重するようなもんじゃないし、だから自分も尊重なんてしない」と標榜しているのだと思います。
そしてそういう人がけっこういる。それなりの学習や経験を経ているはずの学者や政治家にもたくさんいます。そういう人が、人権というものを誤解しているのであればまだ救われるのですが(とは言えそういう方々に社会を語ってほしくないし、ましてや政治を司ってほしくないですが)、理解していてそう言っているのであれば、今の社会の基礎であり幸福の源だとぼくが思ってきたものが、そんなものはいらない、そんな社会じゃないほうがよいと言われているようで、夢も希望もない。
というか、人権を重んじない社会がほんとうにいいと思っているんだろうか。
「犯罪者の人権は大切にされるが、被害者の人権は大切にされていない」なんてこともよく聞きますが、弁護士なら、そんなこと絶対に思っていないはずです。
「人権派弁護士」という言葉によって、「人権」というものも、「弁護士」というものも全然理解されておらず、またそれらは社会において大したものじゃない、という認識があることがわかるだけでなく、わりと普通にこの言葉が使われていることによって、そうした認識がわりと普通に蔓延していることに、ガックリきます。
何百年もかけて、たくさんの血を流しながら先達が獲得してきたものはなんだったのだろうか。