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2009 / 1 / 19

ゆるさない、のではなく

by ayumu

ゆるせない、とか、ゆるさない、といった言葉が使われることがあります。とても激しい、強い感情の発露として使われることも少なくありません。でも、この言葉は、ぼくにはどうしても、どこかむなしく響いてしまいます。

特に、何かの運動の看板や垂れ幕や、デモのシュプレヒコールに使われているのを見聞きするとき、そうした投げかけをする側の思いを強く感じれば感じるほど、それに反して、むなしさや、そこからくるいらだちを覚えずにはいられません。

「ゆるさないゾ〜!」と叫んでも、叫ばれた側は痛くも痒くもないのではないか。そんなふうについ思ってしまうのです。

ゆるせない、だから○○する! その○○こそが大切で、それによって痛かったり、せめて痒かったりする○○ができなければならないわけです。

許さない、なんて言葉は、それを発している者共とともに、ヤツラにとっては存在しないのも同じなんです。

ヤツラって誰だ?
たくさんいるよね。
くそっ。

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