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2009 / 2 / 6

27年の慈しみの後

by ayumu

少し長くなるけれど、引用します。(個人名は変更しています)

重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求 めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き 残ったことにも意味がある」と諭した。

長男Aさんに対する殺人と、妻Bさんに対する承諾殺人の罪に問われたのは、埼玉県川越市のC被告。C被告は公判で「体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に『3人で死のう』と言われ、決意した」と語った。

検察側の冒頭陳述や福島被告によると、長男の症状は重く、知能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きられないのでは」と言われたといい、夫婦は「子どもに罪はない。20年を大切にしてあげよう」と誓った。

食事やトイレなども付ききりで妻が世話したが、介護は過酷だった。自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりもした。

妻が頭痛やぜんそくなどの体調不良を訴えたのは約2年前。40年勤めた会社を定年退職したC被告も介護を手伝った。だが妻の体調はますます悪化し、「3人で逝こう」と心中を望むようになった。

08年8月、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇願。9月9日夜には「遺書を書いた」と福島被告に伝えた。その言葉に、説得を続けていた被告の心も折れた。

翌10日午前1時ごろ、C被告は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。

「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。そう公判で訴えたC被告は判決後、「残された人生を有意義に生きて欲しい」と裁判長に言われ、「はい」と一礼して法廷を去った。

(asahi.com、2009年2月5日1時36分付け、津阪直樹)

頼まれて家族を殺さなければならなかったひとの挫折感、無力感は、いかばかりのものでしょうか。

こころある福祉関係職員もまた、強い自責にかられているかもしれません。

ただ裁判官の決定に、一条の光があるのみです。

しかしこれは、この人が犯した罪ではない。こどもに罪はないと育てることを決心した、この人にも罪はない。個々の職員の罪でもなく、社会が犯した罪です。社会のしくみと、それを支える哲学の不在が犯した罪です。

生まれた子どもがダウン症でも、生かすことを選択できる社会なのに、生かし続けることを選択できない、あるいは生かし続けることを特定の個人の努力のみに依存してしまっている、のです。

かつてならば生まれたときに、生かすことをしない選択がありました。その選択がなくなったのはほんとうに幸いだけれど、しかし、その選択は強制に近いものになったとも言え、そのあとの個人の努力をも強制するものであるわけです。

生かすことを選択できるのなら、生かし続けることができる社会であることもセットでなければならないのに。

7年間の服役など、必要ないと思えます。でもこの人のことを、だれかがちゃんと見守っている必要がある。むろん反省するためでなく、よく生きてもらうために。ほんとうはそれは刑務所の仕事ではないはずだけれど、今この不幸な社会では、刑務所にお願いするのがいちばん現実的で確実な見守りかもしれません。

社会が救うべき三人のうち、せめて一人だけは、司法が救ってくれたというべきでしょう。

何も問題は解決していない。

明日また、同じような思いで命を絶つ人がいるかもしれない。自分の命を。家族の命を。他人の命を。

それ以外の選択肢を与えられるのは、誰なのでしょう。

われわれ、ではないのだろうか?

明日の命は救えないかもしれない。それでも5年後の命、10年後の命は救えるのでは。

……そして考えます。

この社会で、個人のみの責任だと言える罪など、いったいあるのでしょうか。

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