六本木ヒルズの「気」
ぼくは冗談以外でこういう言葉を使うことはほとんどないんですが、しかし他に言いようがなく……六本木ヒルズの「気」。
できた直後に行った時から感じているものなので、あそこで小さな男の子が回転ドアに挟まれて亡くなったり、一時は寵児ともてはやされた人が逮捕されたりしたからというわけではなく、そして今も行くたびに感じる、何かよくない「気」。
仕事でもプライベートでも行く機会があり、オフィス階や、広くて眺めのいいライブラリにも何度も訪れていますし、展望台の見晴らしも東京一ではないかと思うほどの素晴らしいものですが、それにもかかわらず、あそこに行くと、いつも何か言いようのないいやーな感じとか、理由の思いつかない不安感を抱くのです。
同じ六本木でも、ミッドタウンにはまったくそのような雰囲気は感じず、むしろ銀座や表参道のような洗練された街にいるのに似た、落ち着きと高揚感が混ざりあった気持ちの良さがあります。
おそらくはヒルズの高層ビルのずんぐりとした「重い」形と、目的地への行きやすさをわざと排除した非フレンドリーな動線や見通しの悪さが理由かとも考えるのですが、しかしそれだけでなくて「何か」ある気がしてなりません。訪れるたびに、胸の奥の方にどよーんとした何かが溜まってる感じを抱いてしまう。
絶対何か理由があるはずです。
いや、「あそこにはナニカがいる」とか「江戸時代に何人もの人が打ち首にあった場所」とかそういうんじゃなくて、説明できる理由があるはずです。
誰か明快に説明してくれないかなあと思いながら、いつも話題に出しては、変な「気」があるという感覚の同意は得られるもののその正体がわからないまま、なのですよねえ。
ケータイからの閲覧・修正しました (Ktai Style & Disqus)
このブログはWordPressを使っていますが、ケータイで見るときに見やすい表示にするための拡張機能(プラグイン)を使っています。
ページ右下にもリンク張っている「Ktai Style」[sourceforge.jp] というもので、3大キャリアだけでなく、スマートフォンにも対応しています。また単にHTMLをそれぞれのキャリア用に変換するだけでなく、ページのナビゲーションなどがケータイ向けになるように工夫されていて、これを自分でやろうと思うと相当大変……というか実質ムリ、ぐらいのものです。ありがたいことです。
で、それとは別に、コメントの部分には「Disqus」という拡張機能を使っているのですが、これまた、コメントを書いてくれる人にもプログ運営側にもとても楽で、見栄えもよいシステムです。
ところが前述のKtai Styleによって作られたページをケータイから見ると、このDisqusのコメント欄の表示がうまくいかない。
変なコードが見えてしまったりして、たいへん見にくいことになります。
解決しなきゃなあと思いながら、一時はDisqusをやめたりもしていたのですが、やっぱり便利なので、ここしばらくはケータイから見る方にがまんしてもらっていたという状態でした。
Disqus & Ktai Styleという、たぶんあんまりない組み合わせなので対応を頼むのもしにくいなあと思っていたのですが、でもいちおうそのような現象があることのお知らせと、自分で直すヒントでももらえればという思いで、Ktai Styleの作者の方にメールしたら、速攻お返事をいただけて、一部PHPのコードも教えてもらい、とりあえず表示の変なのは直すことができました。
なので今はケータイからもひととおりのページがちゃんと見られます。
ただし、表示はまったく問題ないものの、ケータイからコメントしたときには、Disqusのコメントとは別に(WordPressのコメントとして)保存されるので、書いてもコメントがすぐに反映されないということになっています。すみません。対策考え中……。
思いの置かれし場所:模索舎
四ッ谷で髪を切ったあと、新宿で食事の予定だったのですが、暖かなお散歩日和だったので歩いてゆくことに。
御苑の前まできて、そう言えば竹熊健太郎さん編集、多摩美の学生ほかが描いた自費出版コミック誌 [mosakusha.com] を模索舎に置いたと彼のブログにあったことを思い出して、すごく久しぶりに立ち寄ってみました。
造りもコンセプトもまったく変わらず、置かれている本たちのテーマはもちろん今のもの。こういう場所をずっとつづけていてくれることに頭が下がります。
いまどきチラシや冊子や自費出版本はウェブがその機能を相当代替していますが、依然としてあの狭い店の棚を埋めるだけのものは充分出ていて、あそこにいかなければ出会えないだろうものが、変わらずに置かれています。
模索舎以外にはありえない選択と棚の編集。
ほかの場所ではお目にかかることのない民族派の冊子など、自分とは違うかもしれないけど、だからこそ興味を惹かれるもの多数。本当はもう少しゆっくりいろいろ見たかったけれど、トイレにいきたくなったのを機に退出。
たけくまコミックのほか、『ビッグイシュー 突破する人びと——社会的企業としての挑戦 』を購入。
版元ドットコムのメーリングリストで話題になっていた、ポット出版のISBNコード付き図書目録もあったのでいただいてきました。
稀有な場所、また機会をみて行ってみましょうかね。
五反田団『俺の宇宙船、』
おもしろいことを言おうとしてではなく、会話のなかでふと出てくるおかしな言葉というものがあります。
即つっこみを入れたくなるような、なんでそんなこと言うの?と思ってしまうような、そんな言葉。
日常の中では、いくらトボケた人を相手に話していても、発言すべてがそうなることはないわけですが、これは、そうした言葉を集めてきて1時間半におさめたような、そんな劇でした。
個々の登場人物の背負っている人生が一気に俯瞰できるような台詞を紡ぐ劇も好きですが、この舞台はそういうのとはまた違って、ひとりひとりが、こつこつと生きていることが感じられる、日常の魅力がありました。いろいろな不安をちょっぴり感じながら、それぞれのやり方でそれを押さえつけたり、逃がしたり。
台詞の間。手脚のうごき。遠近法と高低のある無機質な道具立てを変幻させて見立てる舞台。
いろいろなものが、ぼけているようで実に緻密につくられた脚本で編み上げられて、少しさみしげな暖かさを持つ物語となってふわりと着地。
五反田団『俺の宇宙船、』。誘ってくれた友人たちに感謝。
あ、そういえば、この脚本を書き、出演もしていた前田史郎さんが明日の21時からのドラマ [NHK.or.jp] を書いているということでした。見なければ。
辛き思い新たにす
オープン時、オヤジギャグな名称を見ただけでこりゃツライと(いろんなモノを棚の上に置きつつ)思いながらサイトを訪れて、まさに期待通りのツラさを見せてくれた「あらたにす」。iPhoneアプリを出したと知ってダウンロードしてみましたが、これまた再び期待通りのツライ結果でありました。
ウェブサイトにあからさまに誘導するだけのアプリは、いままでいくつも散々な評価をされているのは見ればわかると思うんだけど、どうして同じことをするのか。
しかもつい最近、産経新聞のアプリが大きな良い反響を呼んだこともわかっているはずなのに。
まあ、タダで全部見せてサイトにも誘導しないなんてことをこの三社がやるとも思えませんし、読者のことなど考えてもいなさそうですし、つまり、産経のアプリを成功だとは思ってないんでしょうけれど。
それにしても、ちょっと誰かに使ってみてもらえば、こんなシンプルな機能しかないのに「どこが押せるのか、どこを押したらいいのか、わからない」という問題があることはすぐに露呈するだろうにねえ。
なんでiPhoneで「iPhoneアプリを公開しました」って読まされなければならないのか。なんでずっと流れるテキストを視界の端に置かれなければならないのか。なんでこんなに大きな顔写真を見つづけながら小さな文字でコラムを読まなければいけないのか。なんで写真の画面でiPhoneを振ると写真が意味もなく斜めになるのか。
そもそもアプリの上ではテキストが短すぎて「読みくらべ」をちゃんとできないではないですか。サイトのコンセプトを体現できていない上に、自分たちが書いているテキストの価値を自ら軽んじていませんか。
でも何よりぼくががっくりくるのは、このUIを「すばらしい」と言う人がいることかなあ。身内なんだろうか、あれ。