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2013 / 11 / 3

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映画『スティーブ・ジョブズ』

by ayumu

ぼくにとっては、この映画にでてきたエピソードのほとんどは知っていることだったけれど、何も知らない人が映画を見たら、ジョブズという人間にどういう感想を抱くのだろうか。彼の実際の魅力や、なぜアップルに返り咲けたのかというところはいまひとつ伝わらないんじゃないかなあという気がしないでもないのだけれど。

ぼくがMacの雑誌を作っていたのは、ちょうどジョブズがアップルにいない期間で、Macintoshの筐体のデザインがどんどん劣化していくのを絶望的な気持ちで眺めていたのだが、とはいえジョブズがいてくれれば……ともあまり思ってはいなかった。あの頃のジョブズは、「デザインの好きな毀誉褒貶の激しいビジネスマン」といった印象でしかなく、「ふたりのスティーブ」として並べたらもちろんウォズのほうが大好きだった。
返り咲いてから作った初代iMacのデザインはなるほどと思わせるものだったが、ぼくの好みではなかった。

ジョブズへの見方が変わってきたのは、たぶんiPodあたりからだろう。iTunesストアの実現、そしてiPhoneが決定的だった。
あれから彼はぼくのヒーローになった。……ぼくのヒーローになっていたのだ、と気づいたのは、彼の死を知ったそのときだったけれども。

今から思えば、Apple IIもMacintoshも、ぼくがドキドキしていたデザインの中に刻みこまれていた強い思いの多くはジョブズのものだったのだが、技術や、時代や、経営や、彼自身の問題から、それがまっすぐに世の中に提出されていなかったのだろう。
だから映画の中で、若きジョナサン・アイブ(役者の顔はそっくりというわけではなかったが、口調・発音は実にそっくりだ)がジョブズに、「あなたの考えを実現したくてここにいるんです」と言い、iMacのデザインについて熱く語るシーンには、目頭が熱くなった。

でももっと、彼とアップルのチームによるデザインの実現の過程を、ドラマとして観たかった。カリグラフィへの興味とフォントへのこだわりが結びついて描かれてなかったし(そのこだわりも、結果の成功のシーンがないので、なんだか部下をいじめる上司を描くためのネタになってしまっていた)、何よりPARCのエピソードがそっくり無いというのは残念すぎる。ビル・アトキンソンと、アンディ・ハーツフェルドのウィザードぶりも見せてほしかった。ジョブズがアトキンソンを外に連れ出して角丸四角形の重要さを説得するシーンも見たかった。それに、ただのダメなおじさんにしか描かれてないジェフ・ラスキンが悲しかった。

まあこんなふうに「ジョブズの何が描かれるのか」「どの時代のどんなことがどのように扱われるのか」ということにどうしても意識がいって観てしまっていたので、映画としてどうなのかという評価については、することができないでいる。

しかし、映画の1時間半で描かれるには短すぎる人生であったことはたしかだ。1年間の大河ドラマに十分なりうるだけの濃い人生。
あらためて、そんな人生をもった人と同時代を生き、その人のすることをリアルタイムに見、その結果を手にしてこられたのは幸せだったな、と思った。

もう2年がたつのか。

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  1. Happy Birthday, Macintosh. | editorium

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