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Posts from the ‘デザイン・情報・テクノロジー’ Category

17
1月

写研はどこへ行ったんだ

写研がDTPに参入しなかったことには、それなりの戦略やこだわりがあるのだと思います。

かつてのシェアの正確な数字を知りませんが、「東の写研、西のモリサワ」と言われていたとはいえ、出版・印刷業の数から言えばやはり東京が圧倒的であったはずです。

そうしたシェアにあぐらをかいたとも言えるでしょうが、モリサワが参入したころの初期のDTPの技術を見て、これではうちの技術やデザインが十分に活かせないと考えたのかもしれません。実際、それはそのとおりだったでしょう。

書体だけでなく、文字組みの手法や技術も併せてこそ、という考えによって、フォントだけを売るという判断をしなかったのかもしれません。

その点では、状況は相当良くなったとはいえ、写研が望む高度なものが今すでにあるかというと、そうではないでしょう。

しかし、であるならば、写研はDTPのアプリケーションも独自に作ればよかったのでは、と思わずにはいられません。AdobeやQuarkと協力してもよかったし、満足のいく出力機器も含めてシステムを作ればよかったのに。

ただ、出版やグラフィックデザインの世界が、写研の思いに関わらず、様々な要因でかつてよりはるかに拡がりを持つようになり、あるレベルのプロフェッショナルだけがそれを担うものではなくなったことは動かしがたい事実で、そのことに対応するというのは、その世界に影響力を持つ企業の責任ではないかとも思います。

だから、今でもぼくは、写研にはフォントを出してほしい。今からでもまったく遅くない。ゴナやナールを始めとする書体の魅力はまったく衰えていないですから。たぶん写植を使った経験のある人(それももう少数派なのかもしれませんが)の多くは同じ思いではないかなあ。

ところで、このエントリーで書きたかったのは実はそのことよりも別のこと。

なんと写研はウェブサイトを持っていない。

今どき、ITやネット関連企業であるかどうかに関わらず、ウェブサイトを持っているのが普通です。例えて言えば、ウェブサイトがない企業というのは、電話がない企業とファクスがない企業の間ぐらいの位置づけになるんじゃなかろうか。

写研がウェブサイトをどのように考えて持たないでいるのかわからないけれど、今の社会においては「仕事をする」ための多様な意味でウェブサイトが機能しています。

あるいは、ビジネス上のごくごく基本的なコミュニケーション手段であると言ってもいいでしょう。名刺がないとか、電話番号を聞いても教えないとか、そんなことがビジネス上ほとんどありえないように、ウェブサイトがないというのもありえない、というようにぼくは思います。もちろん、企業によってはウェブサイトを持つ意味がないという場合もありえます。でも写研はそのような企業ではない。
(写研の社員は、メールアカウントもないのかな? shaken.co.jpのドメインは、まったく別の写真スタジオ会社のようです)

一言で言えば、コミュニケーションをとる気がない。少なくとも外からはそう見えます。

そして、写研を知らない人にとっては、写研という会社は存在しないのと同然です。そして前述のように、おそらくは写研を知らないデザイナーや出版関係者のほうが多数派なのです。

「愛のあるユニークで豊かな書体」とは、写研の書体見本帳で使われている見本の文ですが、デザインが内包する愛や豊かさは、コミュニケーションの積極性やオープン性にこそあるのではないかと思うのです。ユニークなだけでは、デザインは成り立ちません。

大塚の、写研の前をたまに通るたびに、そこにビルはあるのだけれど、写研はどこかに行ってしまった、そんな感じがしてしまうのです。

13
1月

iWork '09 has come.

毎年バージョンアップが楽しみなiWork。

先週の発表直後に注文していたのだけれど、会社に送るようにしていたので受け取るのが今日になってしまいました。

今回はマイナーバージョンアップですが、ぼくの期待は、Pagesのアウトラインモード、KeynoteのiPhone対応。

前者は、まあまあです。機能や使い勝手に特に問題はなさそうです。Pagesでアウトライン使えるのはありがたい。
ただぼくにとって非常に残念なのは、OmniOutlinerのドキュメントとの互換性。これがどうもまったくない。もちろんテキストレベル、もしくはリッチテキストでのやりとりはできますが、アウトライン構造を保ったままで、OmniOutlinerからPages、あるいはその逆がいずれもできない。Omniがなんとか対応してくれないかな。要望を出しておこう。(2009.1.14 付記:OOからMS Word(HTML)形式で書き出し→MS WordでWord(doc)保存→Pages、であれば、アウトライン構造を保ったまま開くことができました。でも直接開きたいなあ)

あと、Pagesのドキュメントの階層とスタイルの関係は、いまひとつ分かりにくい(それでもMS Wordよりはるかにマシ)のですが、それにアウトライン構造が加わったので、それらを組み合わせてうまく楽に使うやり方を会得する必要がありそう。

そのほか新たに加わった機能としては、フルスクリーンモードがいいですね。ライティングに集中できる。こういうことができるエディタはいくつかありましたが、Pagesでできるのはうれしい。

iPhoneによるKeynoteのコントロールアプリは、かなりがっかり。ページとノートが表示されるだけで、ページめくりもフリックでしかできない。今見ているページとその前後だけじゃなくて、全部のページを手元で見たいのと、タップでページめくりをしてほしい。片手でiPhoneを横位置で持ってのフリックはしにくい。必要最小限の機能という感じなのでバージョンアップに期待。

新しいトランジション、マジックムーブは便利。アクションで手間かけて作っていたことが一発でできる。

あとはそれぞれ、MS Officeとの互換性がどうか……これは少し試してみないと。ただ’08でも、OpenOfficeより良くて、まあほとんど問題ないぐらいな印象だったので、もっとよくなっていれば御の字。

12
1月

フォントを思う

この所、フォントに関する本をたて続けに買って、読んだり眺めたりしながらわくわくしています。

ぼくがフォントというものに興味を持ちはじめたのは中学のときで、ロットリングやカリグラフィー専用のペンをお小遣い貯めて買い、レタリングやタイポグラフィー、カリグラフィのまねごとをしてみたものでした。
文字そのものの持つ美しさと、それを細心の注意でならべることによってこそ伝えることのできるなにものかに、まがりなりにもひきつけられました。

日本語の書体を強く意識したのは、図書館で借りて読んだ『新技法シリーズ 文字をつくる』(美術出版社)からではないかと思います。ナール生みの親、中村征宏氏による書体デザインの話がすごく面白く、デザインのなんたるかを知るひとつのきっかけだったかもしれません。
しかし、こんな魅力的な本も今や絶版。なんとも惜しい。(新技法シリーズには他にもいい本が何冊もあったんですが……時代に合わなくなったものもあると思うけど、選別してでも復刊してほしい)

後に、Macをはじめて触ったとき、プロポーショナルで美しい欧字が画面に表示され、さらにそれがそのまま印刷されることへの驚きとうれしさを感じたのはそのような体験があったこそでしょうね。
であるがゆえに、初期のMacの日本語の扱いや、美しくない日本語DTPはまったく好きではありませんでした。

写研のフォントがいまだに使えないのは実に残念なことですけれど、しかし日本語フォントも質の非常に高いフォントが作られるようになり、InDesignによって高度な文字組みが可能になって、隔世の感があります。

28
11月

ねじ式文明

「ビス」という言葉をあるところで眼にして、ぼくの中にあるビスのイメージがおぼろげなのに気がついた。
ビスって何だっけ? ビスという言葉を自分で発声することはほとんどなく、同様のものは「ネジ」か「ボルト」と言っているなあ。ボルトはレンチで回すヤツ……ビスは……あれ?

こういう用語は日本のWikipediaではあまり載っていないかも……と思いながらひいたら、「ネジ」の項にくわしく載っていました。すばらしい。
そしてそこに記載されていたネジの歴史、実に興味ひかれるものでした。
そうか、江戸とはネジのない文化だったんだ。村松貞次郎先生の『無ねじ文化史』を引用していたので検索したらCiNiiからPDFで論文ダウンロードできました。

ネジは「中国で独自に生み出されなかった、唯一の重要な機械装置」だそう。

なるほど、ネジは旋盤がないと簡単には作れないのだな。「旋盤で物を作るのはヨーロッパ貴族の趣味の一つだった」んだって。
おもしろいねえ。旋盤で何作ってたんかな。『Make』が好きなような、そんな貴族がいたってことだ。

一方日本では、幕末、鉄砲が伝来してから300年以上たっているのにまだ刀で闘おうとしていたヒトがいたのはなんでだろう、というのが前から思っている疑問なんですが、それに対する大きなひとつのヒントでもありました。ネジを日本では容易に作れなかったのだ。鉄砲はネジがなければ作れないのだ。

グーテンベルクの印刷機もネジで版面に圧力をかける。あれはブドウ絞り機からの発想だけれど、日本での印刷は、ずっと手で刷っていたのもこれに関係があるのだろう。

あまりにも身近すぎてそのすごさに気づいていなかったけれど、たしかに、ネジというものを思いつくことと、それを道具として作ること、ネジを作るための道具を作ること、これらのハードルの高さは並じゃない。

人間には脳があるから、コンピューターのようなものを思いつくことはたやすい。空を飛ぶ生きものはたくさんいるから、飛行機もまた、かなり思いつきやすい。
でもネジはそもそも自然界に存在しないから、なかなか思いつくことができそうもない。そういう点では車輪と同様かそれ以上だ。しかも車輪は思いつきさえすればわりと簡単に作れるけど、ネジを作るのは相当たいへんだ。
中国が、そしてその文化圏の中にいた日本がそうであったように、ネジが発明されない文明というのは充分ありえたわけで、この地球上にネジが存在することって、そう考えるとものすごくすごいことだ。

11
11月

ポメラ買いました

ポメラ結局買ってしまった。

先週、ビックカメラで予約を受け付けているということだったので行ったものの、さてどこの売り場だろうかと考えてうろうろしながら、ああQV-10のときもそうだったな、と思い出していました。
液晶画面を搭載した初めてのデジカメ、QV-10を発売日に買いにいったとき、当時はまだデジカメというジャンルはほとんど存在していなかったので、果たしてカメラの売り場なのか、パソコンの周辺機器の売り場なのか、うろうろしたのでした。
今回も同じように困りながら、でもまあキングジムだからテプラとかのあたりでしょうと目星をつけて、当たりでした。

思ってたよりやや大きく、やや重い。
フルキーだけど、ファンクションキーもついていて、1番上のファンクションキーの段と2番目の数字の段のキーはやや小さい。なので仮名入力だと、押し間違えることがときどきある。「う」を打つつもりでF3押してたりとか。右のshiftが上矢印キーの右にあるのとかとあわせ、まあ慣れでしょうけどね。全体的に指をやや縮めて打つような感じになります。

まあ、この機械については多くのブログで語られるでしょうから、editoriumというサイト名のここでは、少し編集機能について重点的に書こう……と思ってたんですが、書くことないですね。シンプルすぎて。Copy & PasteができるけどUndoは1段階のみ。検索のオプションは大文字小文字の区別ができるのみ。
atokを載せていることもあり、パソコンの操作を踏襲しているので、パソコンに慣れているひとは違和感ないでしょう。メニューも、ドロップダウンメニューが画面中央にポップアップするという考えてみると不思議な、しかし見慣れた形で出てくるので不自然にみえない表現で、操作に困ることはないです。
このキーボードの大きさと画面にもっとあったインターフェースは考えられますが、しかしあえて独自のインターフェースにするまでもない、というのも、この製品のコンセプトたる「割り切り」でしょうし、これはこれで見識かと。

ともあれ、持ち歩けるフルキーボード入力端末。取り出して、すぐにすばやく打てる機械。
iPhoneとは別の方向で、ぼくのもうひとつの長年の望みでした。

キングジムとしては予測していなかった大きな反響ということなので、今後も同社、そしてその成功に追従しようとするいろいろな会社から類似製品が出てくることでしょう。
楽しみです。